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ばあちゃんが二十歳若返った。体ではなく頭が、である。
中学生の頃に反抗期をこじらせて、以来ばあちゃんとは口を利いていなかった。そんな私に今朝、
「理香子おおきなったなあ。制服よう似合うとるわ」
と満面の笑みを浮かべ、カサカサの手で私の頬を撫でまわした。出社前のスーツ姿を見て、中学校の入学式と勘違いしているのだ。
ばあちゃんは一年ほど前から物忘れがひどくなってきて、昔のことは覚えているのに最近のことはどんどん忘れていっていた。
ばあちゃんはいつもしょうもない駄洒落を言ってはじいちゃんを笑わせていた。私は「しょーもな」と鼻であしらっていたが、たまにくすっと笑ってしまうこともあった。「あんたほんま口から生まれたような人やなあ」とじいちゃんがよく言っていたが、ばあちゃんはまさにそんな人で、言葉を喋れるのが嬉しいとばかりにひっきりなしに喋っていた。その口から次々と生まれるのはピチピチと跳ねる小エビみたいな言葉だった。
物心ついた時から毎年夏休みと年末に、ばあちゃんの家に遊びに行っていた。というか預けられていた。おかあさんは私を預けるとどこかに出かけて行って、たまに帰ってくると酔っぱらって楽しそうだったので楽しいんだろうと思っていた。家にいるおかあさんはあんな楽しそうな顔をすることは一度もなかったから、寂しかったけど嬉しかった。おとうさんは一度も来なかった。
ある年の正月、私は誕生日におとうさんから買い与えられたバービーを抱いて、ばあちゃんの家で一人遊んでいた。ばあちゃんは人形を見て、
「あらー、懐かしいわー」
と素っ頓狂な声を上げて、私の隣に座った。おかあさんが小さな頃に大好きだったらしい。
「理恵子もこんな人形で遊んでた時代があったのになあ」
私の頭をなでながら記憶の尻尾をたぐり寄せるように、ばあちゃんは遠い目をしていた。
六年生の夏、両親は離婚した。おとうさんはどこか遠くに行き、おかあさんは私を祖父母の家に預けた。中学校は全然知らない子ばかりのところに入学することになった。名字も三好から飴宮に変わり、呼ばれても気付かないことが多かったし、“両親に捨てられた子”というのがばれるんじゃないかと怖れ、できるだけ人と距離をとったら友だちはできなかった。
「なんでおかあさんと一緒に暮らされへんの」
何度もばあちゃんに詰め寄った。そのたびにばあちゃんは困った顔をして、「そやなあ、暮らせるとええなあ」と私の頭を撫でた。ばあちゃんに八つ当たりする自分が惨めだった。
遊びに来てたときのばあちゃんはひたすら優しかったけど、一緒に住むようになったら厳しくなった。それまで寝転んでポテチを食べながらテレビを観てても何も言わなかったのに、急に「そんな行儀悪いことしとったらアカン。ちゃんと座りなさい」と怒るようになった。じいちゃんにSOSの視線を送っても、何も言ってはくれず、うなずいているだけだった。何かにつけ行儀だ礼儀だと細かく指摘されるようになり、最初は戸惑い、そのうち鬱陶しくなって、ついに口を利かなくなった。
数年間はばあちゃんも話しかけてきた。返事をしない私に見るからに動揺し、あるときはなだめすかし、あるときは怒り。けど口答えしたい気持ちをぐっと抑えて無視するうちに、必要最低限の言葉しかかけてこなくなった。すでに六十歳を超えていたばあちゃんにしては頑張った方だろう。会話を捨てたその頃には、将来会話もできなくなるときがくるなどとは想像だにしなかった。
それから二十年。今朝ばあちゃんは、私の入学式にいる。
「飴宮理香子。アメ・リカの入学式やな。あははは」
あの日と同じ駄洒落を言って、一人で笑っている。私のなかから三好理香子が消えて飴宮理香子になった瞬間だ。二十年前の私は「アホちゃうか」と冷たく突き放した。
ばあちゃんはいつの間にかすっかり小さくなっていた。今のばあちゃんは私がかけた苦労をすっかり忘れて幸せになれたのかもしれない。
「そやな、ばあちゃん。もいちど入学式やな。今度はばあちゃんを幸せにしたるからな。私を引き取ってくれてありがとうな。育ててくれてありがとうな」
私はばあちゃんの薄くなった頭を撫でた。ばあちゃんの表情は滲んで見えなかった。
<了>
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