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森はあらゆる音を吸収し、この世界にたった1人でいる錯覚に囚われたが、それは決して順を孤独にはしなかった。 のんびり歩いていると、地面に無数の穴が空いていることに気がついた。 何かが出てきそうだと順はしゃがんでそっ…と穴を覗き込んだ。 「いないよ」 突然後ろから声をかけられ、順は驚いてバランスを崩した。 眉をひそめて後ろを振り向くと、そこには青年が一人、佇んでいた。 青年は大きなつばの麦わら帽子を深く被り、紅葉色のチェックのシャツに黒のカーゴパンツ、使い古したカーキ色の長靴 という装いだった。 背中には竹で作られた大きな籠を背負っていて、森の気配を身に纏っていた。 「名前、何て言うの」 青年は柔らかい声で尋ねてきた。 その声になぜか懐かしいものを感じる。 「順」 青年はへえ、と相槌を打った。 そっけない返事に少しムッとする。 「その籠、何入ってるの」 気になって背負っている籠を指差す。 「これ?」 青年は順に見えるように籠を傾けた。 覗き込んで、ヒュッと喉が縮まる。 その籠の中には、おびただしい数の蝉の死骸が放り込まれていた。 得体のしれない恐怖が背中を這い上がってくる。 走って逃げようとするとガシッと青年に腕を掴まれた。 「蝉嫌いなの?」 「…大量の死骸を 見せられたら気持ち悪いよ」 青年は目を細めると 「…こんなもの見せてごめん」 ポツリと言い順に背をむけた。 その背中がどことなく寂しそうで順は思わず籠を掴んでいた。 驚いて振り返った青年に 「気持ち悪いとか  軽率に使った。悪い」 と謝る。 籠からそっと手を離して青年の反応を窺っていると、 「これは俺の命の次に大事なもの」 青年は静かに言った。呆気に取られていると、 「順、ついてきてよ」 笑って、青年は迷いなく森を歩き出した。
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