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慌てて横に並び、名前を訊いた。 「わからない」 「わからない?」 「確かに俺には名前があったはずなのに 思い出せない。この森に気付いたら立っていたんだ」 青年は淡々と言った。 嘘を付いているようには見えない。 「年齢もわからないのか」 「さあ……ここに来たときはそれなりに幼かったはずだよ。まあ知らなくても生きていける」 「どうして」 「比べる人間もいないからね。そうすると服装も気にしなくなる」 ほら、と自分の服を指す青年に自覚はあったのかと苦笑した。 「順、もうすぐ見えてくる」 何がと思うよりも名前を頻繁に呼んでくれる青年に好感を持つ。 「名前で呼ばれるのはいいな」 「へえ。なんで」 「自分の存在がその人の中で認知されてるのが嬉しいんだ」 「じゃあ何度でも呼んでやる」 そう言って青年はクシャっと笑った。 順はその笑顔に誰かの面影を見た。 「きみ、誰かの笑った顔に似てる」 ぽそりと呟くと、 青年の耳がピクッと動いた。 「もしかしたら俺は誰かの一部を盗んでできた人間かもしれないな」 青年は自虐的に呟いた。 「そういうつもりで言ったわけじゃないよ」 順は慌てて弁解するが、青年はそれっきり黙りこくってしまった。 順もそれ以上何も言わなかった。 自分が何者かわからないまま1人で生きてきた人間の気持ちは、わかるはずがないから。 沈黙したまま歩き、しばらくするとツンと右袖を引っ張られた。 顔を上げると、1軒のプレハブ小屋が木に隠れるようにして佇んでいる。 ぼうっと小屋の前で突っ立っていると、 「この小屋、幽霊なんだよ」 と青年が耳元で囁いた。 息が耳を掠め、ひゃっと飛び退くと、青年は楽しそうな顔をしてドアに鍵を挿し込んだ。 どうも、距離感が測れないな。 耳をさすりながら戸惑う。 ガチャ、と大きな音を立てて重たそうに開いた扉からは上質な木の匂いが香った。 「隠れ家へようこそ。一人目のお客さん」
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