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「席、最悪。1番前だし、隣がマジで暗いんだけど。誰か代わってよ。」 新しいクラスになった初日、下駄箱の前で由華(ゆか)が言う。 「あぁ、‘森田(もりた)’?」 「喋ってるとこ見たことないかも。」 「なんでよりによって森田の隣なんだろ。1番ハズレ席じゃん。」 あはは、と笑い声が重なる。靴を入れ替えてスニーカーを地面に置こうとした瞬間、私は何かとぶつかった。 「…あ、」 「ごめん。」 笑い声が消える。だってそこにいたのは森田だったから。 「…こっちこそ、ごめん。」 慌てて私も謝ったけれど、森田はそのまま何も言わずに靴を履いて外に出て行った。  森田は去年隣のクラスに転校してきた男の子。うちの中学は2クラスに分かれているけれど、全員が同じ小学校からの持ち上がり。良くも悪くも9年間ほぼ同じ顔ぶれと過ごす。今まで転校していってしまうことはあっても、転校生がやって来ることは1度も無かった。だから都会から男の子が転校してくるという噂が流れた時、たぶんだいたいの女子は少女漫画のような爽やかなイケメンを期待していたのだと思う。でも転校してきた森田は、誰よりも背が低くて、目元まで隠れてしまうようなマッシュルームヘア。授業で当てられた時しか喋らない、言っちゃ悪いけれど期待していた転校生とは程遠い外見と性格をしていた。隣のクラスで誰とも打ち解けることなく進級した森田と、今年私は同じ2年2組になった。私の席からは授業中、森田が視界に入ることはあまりない。特別気になるわけでも、嫌いなわけでもない。ちっちゃい陰キャがクラスにいるな、そんな程度にしか思っていなかった。 「…マジか。」 委員会決めでじゃんけんに負けてしまった私は、昼休みが潰れることで悪名高い図書委員に任命されてしまった。そしてその相棒が森田だった。しかも森田は立候補だ。 「ドンマイ、陽菜(はるな)。」 由華が笑う。森田の隣の席から私に向かって。しかもその言い方は図書委員になってしまったことだけじゃなくて、‘森田と一緒で残念だね’というニュアンスも含んでいる。別に私は森田と一緒だから図書委員が嫌なわけじゃない。単純に面倒だから嫌なだけ。でも大きな声でそう言った由華と、それに対して苦笑いした私のやり取りは、明らかに森田を拒絶するものだった。良くないことをしている。そう思ってはいるのだけれど、こういう時私はどうするのが正解なのかよく分からない。  放課後は委員会の集まりだった。図書室でやるのかと思いきや、指示されたのは1年2組の教室。それぞれの委員会の教室に向かうためにガタガタと皆が一斉に立ち始める。終わり次第下校するからリュックを背負う。ふと窓際の方に目をやると、もう森田の姿は見えなかった。私は慌てて廊下に飛び出した。人で溢れた廊下。背の低い森田を見つけることが出来ないまま、1年2組の教室に辿り着いてしまう。窓際の1番後ろに座って外を眺める森田を見つけて、私は小走りで近付いた。 「なんで置いてくの?」 出来るだけ明るい声で言って、隣の席に座った。すると森田は驚いた顔でこっちを向いた。 「え、置いてく…って、え?」 めちゃくちゃ驚いている。驚かれたことに私も驚いてしまう。 「私の名前知ってる?」 そう言うと森田は目を泳がせた後、俯いて小さく口を動かした。 「…加納(かのう)、陽菜さん。」 「正解!あ、でもごめん。私森田の下の名前知らないかも。」 誰も森田のことを名前で呼ばない。文字より音の方が記憶に残る私は、呼ばれない森田の名前を知らない。 「…‘すぐる’」 俯いたままポツリと言う。 「‘すぐる’?どんな字書くの?」 ガタンと音をたてて椅子ごと森田の方へ近づく。森田はまた驚いた顔をする。困ったように彷徨う森田の右手が、机の上の見えない紙に何やら文字を書き出す。 ‘優流’ 「…綺麗な名前。しかも森田に合ってる感じする。」 気付けば口から言葉が溢れていた。初めて見る名前。今まで出会った名前の中で断トツ綺麗だと思った。 「…どうも。」 森田の頬が少しだけ赤く染まる。照れている。その顔が、素直に可愛いと思った。  先生が入って来て、ザワザワと騒がしかった教室内が静かになる。私も森田に近付けた椅子を元に戻して先生の話を聞く―――…ふりをして横目で森田の横顔を眺めた。森田は先生の方を向いたり、窓の外を眺めたり、俯いたり。いろんな方向を見るくせに私の方は絶対に見ない。私は先生と森田を交互に眺めながら、大して話を聞くわけでもなくなんとなく時間を過ごしていた。  だいたい週に1度回って来るらしい図書当番。その日は昼休みが潰れることになる。カウンターに座って貸出の手続きをして、返却された本を本棚に返す。普段全く図書室を利用しない私は、一体どれくらいの人がやって来てどれくらいの作業をしなければいけないのか想像もつかない。 「え、図書室来たことないの?」 委員会を終え、一緒に教室を出た森田は驚いた顔で言う。 「授業で来ただけかな。私の友達、みんな静かに本読むタイプじゃないしさ。」 由華を始め、私が仲良くしている子は明るく目立つタイプが多い。今は私を含めて5人のグループ。休み時間は教室でかたまってお喋り。委員会のような仕方ない用事以外では、別々に過ごすことはまずない。 「…ふうん。」 何か言いたげな顔をした森田が、言葉を飲み込むようにそれだけ言う。何も言われていないのに、何故か胸がチクリと痛んだ。 「森田はよく行くの?」 「…わりと。静かだし、この学校の図書室大きいから本たくさんあるし。」 教室は騒がしい。私達のようなのがたくさんいるから。なんでだろう。そう言われたわけじゃないのに、森田はそう思っているんじゃないかと私の心は勝手にそう解釈する。 「1人で、本読んでて楽しい?」 私は1人ぼっちの森田とは違う。そう思った瞬間、明らかな悪意を持ってそう尋ねていた。考えるように一瞬目線を上げた森田が、私の方を見ることなく言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。 「加納さんは、人といてしんどいと思うことないの?」 森田の口調には、私のような悪意は見えなかった。ただ純粋にそう聞いている。すぐに答えれば良いのに、私は言葉に詰まる。 「…人といて、しんどいの?」 答えずにそう尋ねると森田は頷く。 「無理して誰かと一緒にいるのはしんどい。」 真面目に、森田はそう答える。 「1人でいるの寂しくないの?」 森田はほんの少し、首を傾げるように動かした。 「あ、」 気づけば下駄箱まで辿り着いていた。靴を履き替える森田は制服のポケットに手を入れてゴソゴソと動かし始める。 「僕、自転車だから。」 自転車の鍵を取り出した森田は、私を下駄箱前に残して歩いていく。私から逃げている感じではない。1人で帰ることが普通。森田の背中はそう言っているようだった。 「陽菜じゃん。委員会終わったの?」 由華とようちゃんがやって来た。同じ美化委員になった2人はいつも通り楽しそうに笑いながら歩いている。 「うん、今終わったところ。」 「どうだった?これから森田と一緒に当番やるの?」 「うん、そうみたい。週1くらいかな。」 「うわぁ、やだね。陰キャとずっと一緒とかマジしんどそう。」 笑う。楽しそうに。 だから、私も笑う。 森田の名前がとても綺麗だったよ。 話しかければ普通に喋ってくれるよ。 別に暗いわけじゃなさそうだよ。 森田と一緒にいるのはしんどくないよ。 いくつもの言葉が頭の中に浮かんだけれど、私はどれ1つとして口にすることが出来ない。由華達は森田のことをあんまり良く思っていない。それが、すべてなんだ。        *** 「あ、今日図書委員なの?」 昼休み、教室の後ろの方のようちゃんの席に集まって喋っている皆と別れて私は1人廊下に出た。森田は既に教室にいない。1人ぼっちで歩く廊下は、いつもと景色が違って見える。足元ばかりが視界に映る私は、周りからどんなふうに見えているのだろう。そう考えると、自然と歩く速度が上がる。  扉が開いたままの図書室。中に入ると人は疎らにしかいなかった。森田はカウンターに座って本を読んでいる。仕事がない時はそうしていていいらしい。 「遅れてごめん。」 小声でそう言いながら、カウンターの中に入る。私に気付いた森田が、本を持つ手を少しだけ下げる。 「うん。」 それだけ言って、森田の視線は再び本の中。森田の隣に座った私は、特にすることもなくぼんやりと壁の掲示物を眺める。 カチ、カチ、カチ、と時計の音が響く。 静か、だった。 授業中とも違う。自分の部屋に1人でいる時とも違う。 ざわざわとしていない。かと言って、しんと静かなわけでもない。でもどうしてだろう。時折聞こえる物音も、小さな話し声も、私が知らない世界の中の出来事のようだった。皆、自分の世界。隣に座る森田だってそう。隣にいる私のことも、周りのことも何も気にしていないかのように、目の前の本にだけ集中している。誰も、私のことなんて見ていない。うまく言い表せない、不思議な感覚だった。  返却に来たのが3人。貸出をしたのも同じ3人。本棚に返した本は3冊。しかも私がやったのは1人分だけ。初めての図書委員の仕事は拍子抜けする程楽だった。  予鈴が鳴る。森田は読んでいた本を閉じて、自分で貸出手続きをした。 「次、授業なんだっけ?」 「数学だよ。」 さっさと図書室を出て行こうとする森田に向かって尋ねると、チラッと振り返ってそれだけ答える。慌てて森田に続いて図書室を出て、扉を閉める。歩いて行く森田の斜め後ろをついて行く。  5時間目が数学だってことくらい知っていた。そこから数学が得意とか苦手とか、何かそういう他愛のない話が出来るんじゃないかって、そう思っただけ。でもダメだ。森田にまるでそんな気持ちがない。この前、あんなことを言ったから嫌われてるのかな、そう思う程に。  森田との距離が開いて、図書室から離れるにつれて周りが騒がしくなって来る。本鈴が鳴るギリギリに入った教室は、さっきの図書室とはまるで別世界だった。   
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