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「ねぇ、昨日竜雅と2人で帰ってなかった?」
まだ由華がバスケ部の朝練で教室にいない時間、ようちゃんが私の席にやってきた。
「…見た?」
「うん、見た。なになに、復活したの?」
ようちゃんの顔は興味津々で輝いていた。
「…まさか。委員会一緒だっただけ。」
「竜雅が図書委員?」
「休んだら図書委員にされてたらしいよ。」
「えー、本当に?」
「そうじゃなきゃ竜雅が図書委員なんてやるわけないじゃん。」
「そうかなぁ。」
何か言いたげにニヤニヤするようちゃん。
「由華、羨ましがるかもね。」
「…かもね。」
苦笑いするしかない。だって昔も今も、私にはどうすることも出来なかったんだから。
小6の2学期、‘付き合う’っていうのが流行っていた。彼氏彼女がいるのがかっこいいみたいな雰囲気で、派手なグループの男女は結構皆必死だった。私はその頃、由華やようちゃん、昨日下駄箱で睨んできた里奈達と一緒にいて、たぶんクラスでも学年でも中心的な派手なグループに属していた。男子もやっていたからお互い様なのだろうけれど、男子の中で誰が‘マシ’とか‘◯◯なら付き合っても良い’とか、一体どこから目線で喋っているんだろうというような会話で毎日溢れていた。でもなんだかんだ言いつつ1番人気があったのは竜雅で、少なくとも由華と里奈は竜雅と付き合いたいと思っていたはずだった。私はその頃からヘラヘラ笑って話を合わせているばかりだった。クラスの中にも学校の中にも付き合いたい人はおろか好きな男子もいなかった。でもそれが許される雰囲気じゃなかったから、話を合わせてむしろ苦手だった竜雅のことを‘かっこいい’なんて言ってしまったんだ。
運動会の後、竜雅に告白された。教室で、皆の前で。断られるなんて微塵も思っていなさそうな自信満々な竜雅の顔と、私から目を逸らした由華と里奈と顔。いろんなことが一瞬にして頭の中を巡った。もし竜雅をフッたら―――…調子に乗っていると総スカンを食らうだろうか。竜雅に虐められるようになってしまうだろうか。逆に竜雅と付き合うことになったら―――…竜雅に守られる。誰が好きとかかっこいいとか、そんな話をヘラヘラ笑ってしなくて良くなる。竜雅のことを好きなふりをしておけばいい。由華や里奈も私を邪険には出来なくなる。竜雅の隣にいるということは、今も続くこの狭い世界の中で絶対的な地位を築くこととイコールだった。臆病な私は当然、前者を選べなかった。好きでもない、むしろ苦手だった竜雅にすがってでも、あの世界で生きていかなくちゃいけないと思っていたんだ。
付き合うといっても小6の付き合いなんてほとんど口約束みたいなもの。茶化されて皆の前で手を繋いだり肩を組まれたりしたことはあったけれど、それ以外は何事もなかった。だいたい竜雅も私のことが好きだったのかどうかよく分からない。女子の派手なグループの中で1番自分の言うことを聞きそうだったのが私だった、それだけなような気もする。付き合ったからといって、竜雅のことを好きになれるわけじゃなかったし、むしろ時間が経つにつれて嫌だと思うことの方が増えていった。だから卒業式の後、竜雅に‘別れたい’と言った。同じ中学に行くのだけれど、メンバーも変わらないのだけれど、竜雅とのこの口約束を終わらせるのはこのタイミングしかないと思った。怖くて顔は見れなかった。‘分かった’とだけ聞こえた後、顔を上げたらもう竜雅はいなかった。
中学に入ると、私が竜雅に振られたことになっていた。振られた、というか‘友達に戻ろう’と竜雅が言ったことになっていた。それは事実とはかなり違っていたけれど、私はそれほど誰からも責められず、竜雅から虐められるわけでもなく平穏に中学生活をスタートすることが出来た。私には言ってこなかったけれど、由華はずっと竜雅のことが好きみたいだし、たぶん里奈もそうなんだと思う。ヘラヘラ笑って話を合わせているだけの私のことを由華と里奈はずっと好きじゃなかったのだろうけれど、竜雅とのことも少なからず関係していたんじゃないかと思う。
「森田、来月の掲示物だけどさ、」
昼休みの図書委員の仕事。今日も人はまばらにしかいない。いつもと同じように森田は隣に座って本を読んでいる。
「うん。」
「どんぐりとか紅葉とか描けば良いかな。」
「良いと思うよ。11月だし。僕はまた字を書けば良い?」
前期も図書室の壁に貼る掲示物を作った。私は昔から工作や絵を描くことが好きで、試しにお互い絵を描いて見せ合ったら森田は褒めてくれた。逆に森田はあんまり絵が上手じゃなくて、代わりに字がとても綺麗だった。だから森田が字を書いて、私が絵を描く。そんなふうにして1つの掲示物を作った。
「別にどんぐり描いてくれても良いよ。」
「加納さんの方がそういうの上手だから。技術の作品とかすごいと思った。」
「…」
「どうかした?」
「…ううん、なんでもない。じゃあ森田は字書くのよろしく。」
周りに興味がなさそうなくせに、技術の作品は見ていてサラッと褒めてくれる。なんだかずるいな、と思う。
「森田って習字とか習ってたの?」
「うん、小3までだけど。」
「字、綺麗だよね。」
「…ありがとう。」
照れたように森田が俯く。何なんだ、この褒め合い。くすぐったいような、恥ずかしいような、なんとも不思議な気持ちだった。森田といると、心が落ち着いた。この静かな図書室で、森田には森田の世界があって、私はその隣にそっと居座る。ここで森田の隣にいる時だけは、日常の騒がしさや焦燥感、いろんな嫌な感情から解放される気がする。
「陽菜。」
カウンターの前に、竜雅が立っていた。驚いて、声が出なかった。
「明日俺当番なんだけどさ、」
図書室なんだからもう少し声を小さくしなよ。
「今日、志穂休みなんだよ。明日も来るか分かんねぇから、やること教えて。」
竜雅の声の大きさに、本を読んでる人達がチラチラと視線を向ける。
「…いいけど」
そう言ってチラッと森田の方を見たけれど、森田はいつの間にか再び本を読んでいた。目の前にこんな騒がしいヤツがいるのに、よく平然としていられるな。というか志穂ちゃん、竜雅との委員が嫌過ぎて休んでるんじゃないかな…虐め、というわけではないけれど竜雅はずっと志穂ちゃんを雑に扱っていた。遠くからよく分からない話を大声で振ったり、運動が苦手な志穂ちゃんに笑いながら‘真面目にやれよ’と大声を出したり。志穂ちゃんに対してだけじゃなく、基本的に竜雅は大声で相手をまくしたてる。その時の顔が笑っていようと、威圧感から相手は何も言えなくなる。黙った相手を竜雅はまたバカにする。思い返してみると酷いな、と思う。志穂ちゃんへの態度も虐めだったのかもしれない。ううん、虐めという名前がつくかどうかの問題じゃない。志穂ちゃんが、傷付いていないはずがないんだ。
竜雅が苦手だった。むしろ嫌い。今もそうだ。でもそんな竜雅と付き合って、好きなふりをしていた自分のことの方がもっと嫌いだった。
「本の返却は…」
今だってそう。ここに、私の隣に、竜雅の前に、同じ図書委員の森田がいるのに、竜雅はその存在がないもののように振る舞う。眼中にない、そう言っているかのように。森田は気にしていないかもしれない。でも私は、今ここにいるのが苦しくて堪らなかった。
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