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君となら大丈夫
「最後の晩餐だよ。お寿司もいいな、回らないやつ。あと、ケーキをたらふく食べたいね」
「まずお寿司行く?」
「今から?」
「うん、今から」
そう言ってまずは回らない寿司に行った。時価を初めてみたから、より特別に感じた。彼女の頭に乗った帽子を誰も気にしなかった。
帰りにチキンを買った。アイスケーキもフルーツがいっぱい乗ったケーキも、高そうなプリンやハーゲンダッツも、どれも最後だ。最後だから、たくさん買うのだ。
明日が来たら、明日が来たらどうしよう。
明日が来たら、智子が一緒にいる未来は少しずつ消えていく。それがたまらなく怖かった。
チキンもケーキもプリンも残してしまった。時間は二十一時。
智子を抱いた。僕がそうしたかったから、智子も同じようだった。二人でこれから来る寂しさを埋めることに必死だった。
優しく智子に負担にならないように心掛けた。挿入せずに良かったが、智子は「最後まで」と言った。
あがいても、時間は刻一刻と進む。それに抗うように深く何度も抱き合った。
事後、僕はまた彼女を強く抱きしめた。痛いよと言っていた智子が途中から泣き出した。
僕も泣いて二人でワンワン泣いた。心が痛かった。自分から逃げてしまいそうな智子を必死で引き戻そうとした。
それでも時間は残酷に過ぎていく。泣き疲れて寝てしまった。起きると朝七時だった。僕は毛布にくるまった智子を見た。
ほとんどは毛布で隠れていたけど、やせ細った首元や毛の無い頭は彼女が戦ってきた証だ。それもあともう少しで病気が勝ってしまう。
病気よ、なんで最終的には死ぬのに智子の身体を食うのだ。どうしてだ。
「ん、おはよう」
智子はうすぼんやりと目を覚ました。
「あーくん、私の疲れは抜けきっていないぞよ。だからシャワーまで連れていくのだ」
智子の細い身体を意識せずにはいられなかった。それが無礼なことだと分かっていてもだ。
それを知って、智子は一言も口に出さなかった。なにより智子の身体は軽かった。
シャワーを二人で浴びた。智子の命により智子の身体を隅々まで僕が洗った。なんだか王様みたいだねって智子が笑った。僕もそんな智子に救われ笑ってふざけた。
「うはははは、脇は止めるのだ。止めるのだぁ」
「仕返しに尻を揉むな」
「いいではないか、いいではないか」
最後だからいいではないかと智子は言わなかった。
智子はすんっと落ち着き、身体を預けてきた。僕は智子を沸かした湯に入れた。熱くない? うん、丁度いい。
「私ね、あーくんのお嫁さんになりたいの」
「うん」
「でもきっと時間が少ないの。私に残された時間、桜を見ることが出来ないっくらい短い。でももし奇跡が起こって春までもったら、退院したら君のお嫁さんになるの」
「今じゃダメなの?」
「私が病気と勝負には勝てないけど、病院の桜いっぱいの中で結婚式をするの。それまでもたせるの。だからもう少しだけ待ってね」
絶望的な希望だった。智子を風呂から出し、身体から水をぬぐった。
「ふふふ、王様みたい」
街の風景を見たいの、そういった智子の希望を叶えようと病院へはタクシーで行った。
僕にとってはいつもの風景、智子にとってはきっと最後の風景。大きな川も交通渋滞もタクシーの黒い車体も最後。
「あーくん。悲しい顔になってるぞ。あ、無理に笑わないで、それでいい。それでいいの」
病院には正午に着いた。智子は少し疲れたといって眠った。
幸運なことに僕といる時に痛みに襲われることは無かった。主治医によると奇跡らしい、もしかしたら智子は痛みながらも耐えてくれていたのかもしれない。
これでクリスマスは終わった。
時間はかなりさかのぼる。
智子とはインターン先で出会った。僕は大学生で智子は指導係、好きなバンドの話で盛り上がったが、彼女の利発そうな印象ととても大きな声で笑うところがなぜか心に刺さった。
もうその時には気になっていた。死ぬほど勉強を頑張って、最終面接までいき、落とされた。
君にはもっといい将来がある。そう社長は言った。
智子に落ちたことを言うと、智子は名刺をくれた。
「君が就職先を見つけられず路頭に迷ったら電話しておいで」
ただのインターン生になぜここまでするのかと聞いた。智子は笑って僕の肩を叩いた。君だけじゃないよ、落ちた子みんなにやってるもん。
他の就活生に嫉妬したのを覚えている。
智子は五日も眠った。薬のせいもあるかもしれない、眠って病気からの攻撃に耐えているのだ。
そして五日目。智子はおはようとも、こんばんはとも声出さず、ゆっくりと目を開いた。と、仕事先で連絡を受けた。
事情を知っている同僚に智子が目を覚ましたと説明し、会社を飛び出した。
「智子、智子」
そうベッドの横に座り、声を掛けた。
「あーくん。仕事は?」
今にも消えてしまいそうなか細い声だった。智子の言葉の欠片を僕はただ一生懸命に拾い上げる。
「大丈夫」
「よかった。紅白歌合戦一緒に見よ。今日何日?」
「今日は三十だ」
「三十まで働かせる会社、ブラックですな。ヨーグルト食べたい」
君がいた会社だけどね。
「何味?」
「あったら、ブルーベリー」
「分かった。すぐに買ってくるよ」
「頼んだよ」
そう智子は僕を売店へ送り込んだ。
帰って来たら智子は眠っていた。明日には起きてみんなで紅白歌合戦を見ようねと思いながら、ヨーグルトを冷蔵庫に入れた。
それから智子は亡くなる寸前まで目を覚まさなかった。
個室をあてがわれていた智子は家族揃って紅白歌合戦を部屋で見ていても咎められることは無かった。
眠っていても音は聞こえているはずなので、いっぱい話しかけてください。そう医師に言われていたからか、例年にはないくらいにぎやかな大晦日だった。
そばも用意して、冷蔵庫にはたくさんのヨーグルトとハーゲンダッツが入っていて、いつ目を覚ましてもいいように用意が万全だった。
紅組が勝ち、朝まで話をした。
智子の子どもの頃の話。
近所のお兄ちゃんに告白しようとしたら成功して安心しておしっこを漏らした話。
中学で全校模試一位を取った話。
ゲームをしてろくに勉強をしていないのに定期テストで四百九十点を取った話。
ベッドから声が聞こえる気がする度に期待の視線を智子に浴びせたが、智子が目を覚ますことは無かった。
智子の病室で新年のお祝いをした。本当はここまで智子が持つはずが無かったのに、これは愛の力ね。
そう智子の母親は言った。愛の力ってワードを聞いた智子はきっと顔を真っ赤にして怒るだろう。そんな気がした。
ここで閑話として思い出話をしよう。
僕は新卒で入った会社で三年勤めたが、三年目に転職活動を始めた。智子のいる会社で働きたい。
名刺の番号に電話してデートに誘うなんて大それたこと僕にはできなかった。外堀から埋めていきたい慎重派だった僕は三年で得た資格と経験に基づいた自信をもって面接に臨んだ。
結果は合格。早速、教育係がついた。智子だった。
「あんた本当にうちの会社来たの」
「これからよろしくお願いします。先輩」
「私のしごきは厳しいわよ」
確かに厳しく、辛い時もあった。でも信用を勝ち取りそしてデートに誘うのだ。そう思って一年頑張った。
何度も袖にされたが、サプライズをかましまくり、どうにか家にいれてもらうまでの信用を勝ち取るまでに二年かかり、僕は二十八になり智子は三十二になった。
その時には病魔のことを知った。智子は手術で取ったら心配はないとからから笑っていたのだ。
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