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「……でも、ドンちゃんは泣かなかった」  ぼくは、ぽつりと言った。  徐々にピントが合っていく記憶の残像を見つめながら。 「いや、正確に言うと、泣いてたんだ。八重歯を見せて笑ってたけど、涙がぽろぽろとこぼれてた。おれのことをはじめて呼んでくれた、嬉しいって」 「きみは“ドンちゃん”って呼んでくれたんだ。ほかの奴らは、ドンって偉そうに呼んでたのに」  ぼくは全身が熱くなるのを感じた。きっと顔は真っ赤だ。  いたたまれなくなり、うつむく。 「いつ、気づいたんですか」 「敬語なんかやめろよ、零。履歴書を見た瞬間に気づいたよ」 「ごめん、ぼくは気づかなかった――だって、名前が違うじゃないか、社長は宮藤純、だろ?」 「ドンが本名だと思ってたのか?」 「みんなそう呼んでたから」 「おれの親も揃って能天気だけどさ、大事な息子にドンなんてヘンテコな名はつけないよ。ほら、純と鈍って、漢字が似てるだろ」 「まさか」 「そう、書き間違えたんだ、それも多分、一回じゃない。だからさ、おまえは鈍くさのドンだって命名されちゃったんだよ」  ぼくは堪えきれずに笑った。心の底から、資料棚の向こうにいる同僚にも聞こえるほどの声で。 「会えて嬉しいよ」とドンちゃん。「きみはおれに希望をくれたから」 「ぼくは、なにもしてないよ」 「いや、してくれたよ」  そう言うと、ドンちゃんはふうと深く息をついた。
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