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「本当は、話すつもりはなかったんだ」
ドンちゃんは整えていた髪をくしゃくしゃに乱しながら言った。
少し長めの、緩くウェーブした前髪が眼鏡のフレームにかかる。
「ずいぶん昔のことだし、たった半年しかあの学校にいなかったから、きみが覚えているはずがないと思った……でも、あんな風におれを見るから」
「あんなって?」
「教室でおれにはじめて話しかけてくれたあのとき、感じたんだ、あ、見抜かれてるって。さっきおれを見ていたきみは、同じ目をしてたよ」
「泣きたい気分だった、てこと?」
「ああ、すごく」
「そうか……」
ぼくは納得する。
かれに対して抱いていた違和感の正体がやっとわかったのだ。
「泣きたいときは泣いていいんだよ」
「あのときも、きみはそう言ってくれた」
「そうだった?」
「ああ。やっぱり、きみは変わってない」
ドンちゃんは腰を上げると、棚にファイルを戻した。
「今夜、飯でも食わない?……ああ、これは社長としてじゃなく、ドンちゃんとしてね」
「パワハラだとか思わないですよ、社長」
最近、こういうのうるさいじゃん?とドンちゃんは恥ずかしそうに笑って、また髪をくしゃっと掻き乱した。
ぼくも雑誌を棚に戻し、ドンちゃんの顔を見上げた。
髪が少し乱れているほうが、かれらしい気がした。
「零」
「ん?」
ドンちゃんがそっとぼくの左手を取り、目線の高さまで持ち上げた。
かれの細く長い指が、中指をすっとなぞる。
と、ふいにかれが視線を落とした。
無言のまま、ぼくの手を下ろす。
「……いまの、なに?」
「確認」
「確認?」
ドンちゃんは問いには答えずにっこり笑うと、慌ただしいオフィスへ戻っていった。
ぼくは、茫然と立ち尽くした。
自分の左手の親指で、さっきかれの指がなぞったところに触れてみる。
確かに残る、骨ばった指を通して伝わったかれの体温。
あれ、ぼくはどこにいるんだっけ――急に時間の感覚が失われ、ぼくは宙ぶらりんの状態になった。
いまは、現在の朝なのだろうか。
それとも中学一年生のころの、いつかの朝なのだろうか。
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