行ったきり雀

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なんだか変わったことを言う人だ。でも思っていることを口に出せるのが羨ましい。 他に客はいないし、内緒話をするみたいな声量だからとても静かな空間。沈黙も苦にならないのは父以外で初めてだった。 耳当たりの良いクラシック音楽が流れる。 「・・・・・・何だか、初めて会うのに親近感がわきますね。私ののんびりした話し方と似ているからでしょうか」 すると、雨無さんはハッとした顔をして、腰掛けていた椅子を倒してしまうほど勢い良く立った。 「すいません、僕は自然と相手の喋り方を真似てしまう癖があるんです。指摘されないと気がつかないほど無神経で。不快にさせて申し訳ないです」 突然の謝罪に驚かされたけど、今までの話し方が全部真似だったのだと納得した。なんだか自分と会話をしていたようで面白かった。 「ふふっ・・・・・・それじゃ親近感がわくのも当然ですね。大丈夫です、よく父にも言われました。もっとハキハキ喋りなさいって。頭の中では言葉ができているんですけど、口に出すまでに時間がかかるんです。・・・・・・相手が自分の言葉で傷つかないか、不安なんですよね。だから慎重になって」 そう言うと雨無さんはほっとした様子で、再びストンと椅子に腰掛けた。 「丘田さんの気持ち、よくわかります。僕も相手に気を遣ってしまうことが多々ありますから」 「・・・・・・それで、今日ここに来たのは別れの記憶を預かってくれるという噂を聞いたからなんです。・・・・・・本当に、そんなことができるんですか?」 噂が、誰かが作った都市伝説だとしてもここに来て後悔はしない。忙しい日常と切り離された憩いのひと時を過ごせたから。 雨無さんは色とりどりの綺麗な陶箱を八個、カウンターテーブルに並べた。 「・・・・・・噂で聞いた通りです。陶箱は別れの記憶を閉じ込めるものなんですよね?・・・・・・感情事に色別してあって、その感情の色に合わせた箱に記憶を閉じ込めて預けてもらうんだって」 「それなら話が早いですね。黄は喜び、緑は信頼、深緑は恐れ、青は驚き、紺は悲しみ、紫は嫌悪、赤は怒り、橙は期待を現します」 いよいよ信ぴょう性が高まってドキドキする。小さい時から空想の世界が大好きで、自分がその世界に入り込むことに憧れた。それが目の前にあるだなんて。 「・・・・・・箱にはどれくらいの別れの記憶を閉じ込めているんですか?」 「さぁ、いくつでしょう。僕が譲り受ける前からたくさん閉じ込めてあって、この箱は底なしなんですよ。蛍の光に似た別れの記憶が詰まっています。人の別れの数は無限にありますからね」 「・・・・・・それだけ出会いの数があったってことですね。・・・・・・数え切れないほどの物語があるって、何だかロマンチック」 出会いは幸せ、別れは不幸だったのか。はたまた出会いは不幸で、別れは幸せだったのか。 私はそのどちらでもない。父との出会いは赤ん坊の時だから覚えているはずはないし、まだ別れの実感もない。物語で言えば、父と私には本論のみで序章と終章が存在していない。 私は元々人見知りな性格だが、父のせいでますます人と関わるのが怖くなった。親しい人がふといなくなるのはもう懲り懲りだ。 「・・・・・・きちんとお別れをして、悔いが残らない人ってどのくらいいるんでしょうねぇ。・・・・・・私は最後に父が出かけた日をすごく後悔しています。こうなるってわかっていたら、全力で止めてた。行かないで、独りにしないでって。あの日の記憶を思い出す度、辛くて仕方がないんです」 笑顔で手を振って出かけて行く父の姿は何十回も見送った。忘れっぽくて約束をすぐ破る適当な性格だったけど、出かけて行ったら必ず帰って来る約束だけは守っていた。 今回もそう。私が好きなうどやワラビ等の山菜を採って帰るからと言って出かけた。 最後の最後に父は嘘をついた。山菜はおろか本人すら帰って来なかった。 雨無さんはカモミールティーを出してくれた。ティーカップの隣には、緑色の陶箱がそっと添えられる。 「丘田さんの別れの記憶は緑色です」 緑色は信頼。意外な色を当てられたことに怪訝する。 「・・・・・・てっきり私の記憶は赤の怒りか、紺の悲しみの箱に預けられるものかと思っていました。でも言われてみればそうですね、自由奔放な父だとしても、この世で一番信頼していましたから」
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