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ほんのちょっと泣きそうになるのを堪えて、私はボソボソと父の愚痴をこぼした。
母が病気で死んでから寂しがり屋になって、ちょっと近所に買い物へ行くだけなのに「遠くに行くなよ」なんて言ってたくせに、自分は好き勝手やって。結局、私を独りぼっちにして。
まだやってほしいこととか、やってあげたいこととか山ほどあったのに。
長くネチネチした愚痴を、雨無さんは黙って頷きながら聞いてくれた。
ふうと一息ついてから出されたカモミールティーを口にする。
「・・・・・・すいません、愚痴を言って」
「いえ、溜まったものは吐き出した方が楽になりますから、僕で良ければいくらでも」
「・・・・・・その、記憶は一人につき何個預けることができるんですか?」
「制限はありません。別れの数だけ預かります」
「・・・・・・それなら、父が出かけて行く時の記憶を全て預かってくれませんか? 頭の中から、父と離れ離れになる記憶を全て取り除きたいんです。・・・・・・そうしないと、とても前に進めなくて。私の時間は二年前に止まってしまったんです。何をしても楽しくないし、大切な人を作ろうにも、私はまた置いてきぼりにあうんじゃないかって、恐ろしくなって誰にも心を開けずにいます」
離れて行く背中を見送る記憶は私の弱さ。それを一切断ち切ってしまえば、もう父のことで寂しい思いをすることはなくなるに違いない。帰って来た記憶と、一緒に過ごしている記憶だけ残れば、これからどんなに辛いことが訪れても、耐えられそうな気がする。
きっと人と関わることにも躊躇しなくなる。心を許せる友人ができて、もしかしたら恋人だってできるかもしれない。
暗くて何考えてるかわからない女だと陰口を叩かれることもなくなる。
噂を聞きつけてやって来たのは、弱さを封印してこれからを生きる強さを手に入れるためだった。他に縋れるものはない、一縷の望みだ。
「丘田さんは、お父さんとたくさんの別れを感じていたんですね。今どこでどうしているのかは本人にしかわかりませんが、いつか家に帰って来ると良いですね」
「・・・・・・雨無さんは優しいです。父が生きていると信じて疑わない言い方をしてくださるんですね。私は、父はもうこの世にはいないと諦めていますが、そうですね・・・・・・生きているなら、帰って来てほしい。ただ今はどうか、弱さを捨てさせてください」
私は緑色の陶箱の蓋を指先で撫でた。愛する父に関する記憶でも、自分が変わるためには忘れなきゃいけない。持っていても悪影響になるものは捨てた方がいい。
お父さん、こんな私を許してくれるよね。
わがままで困らせたこと、なかったからね。ずっと我慢してきた。これは最初で最後のわがままだから、いいよね。
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