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「さすがだな、ジェレミー」 「褒められて悪い気はしない」  パチンと指を鳴らす。 「さあ、コテージへ行くぞ」  エントランスロビーから外へ出る。  乾いた風に交じって自然の香りが漂ってきた。トラヴィスは一呼吸して胸に空気を入れると、美味しいコーヒーを味わったような表情をする。  ホテルの外は手入れの行き届いたシラカバが大きく育ち、綺麗に整備された通り道が枝のようにあちこちに伸びている。道の両側は玉砂利や小石で埋められていて、その合間に青葉の付いた低木(ていき)が間隔を置いて植えられている。文字通り大きな庭園だ。日が落ちようとしている今、その木には配線が巻かれ小さな電球が地上の星のように光っていた。  ホテルのコテージはこの通り道に沿うように建てられている。 「本当にいい所だな。俺の人生で久しぶりだ」  日の影が伸びる土の上を歩きながら、余程気に入ったのかトラヴィスの声が弾んでいる。まるで未知なる探検にでも出かけるような喜びようだ。 「このホテルは通常の部屋とコテージタイプに分かれている。お前ならコテージがいいと思った」 「さすがだな、ジェレミー」  片手で肩越しに使い慣れた旅行用のボストンバックを持ちながら、同じ言葉を繰り返して感心する。 「お前のことは、よくわかっている」  さらりとジェレミーは言ってのける。  対して、トラヴィスは首をかしげる。 「俺はまだお前のことが全然わかっていないぞ。わかっていることと言えば、俺と一緒にいても平気なことくらいだ」 「それで十分だ」   肩を並べて会話しながら、コテージが連なる道を進んでいく。ホテルの敷地面積はとても広く、フロントの棟からだいぶ離れた場所にも点在している。二人に用意されたのは(はず)れにあるコテージだった。  外観はアメリカンカントリースタイルの素朴な建物で、他のコテージとはそれほど離れてはいないが、自然に囲まれているためプライベートは守られている。入り口ドアに設置されているセンサーにカードキーをかざして鍵を開ける。ドアから中へ入り照明をつけると、室内は快適なホテルの内装だった。 「ここでお前と五日間暮らすのか」  ボストンバックを床に置いて、好奇心旺盛にリビングルームにベッドルームを見て回るトラヴィスは、キングサイズのベッドに笑い声をあげる。 「おい、喧嘩をしたらどうするんだ? 片方はソファーか?」 「簡単だ、喧嘩をしなければいい」  ジェレミーも革製のトランクケースをベッドルームの隅に置く。カードキーは専用ケースに入れた。 「ベッドは大きい。互いに背を向けて寝てもいいだろう」 「ああ、そっちの方が楽だな」  何やら喧嘩をするという前提で頷くトラヴィスである。 「お前と同じ空気を吸っていて、ずっといい子でいられる自信はないぞ」 「大丈夫だ」  こちらも何やら自信ありげに答えるジェレミーである。 「お前のなだめ方はわかっている」 「さすがだな」  茶化すように何度も褒めながら、一通り室内を見て回ってジェレミーの前に立つ。 「で、俺はお前にどうやってなだめられるんだ?」  両腕を組んで興味津々に訊く。 「難しいことではない」  ジェレミーはトラヴィスの身体に触れると、馴れた手つきで背中へ腕を回す。 「抱きしめて終わりか」 「もちろん、続きはある」  トラヴィスの身体をやんわりと抱き寄せる。 「一日中運転をして疲れただろう」 「一日中捜査をしているよりはいい。ただアクセルとブレーキを交互に踏んで、ハンドルを動かすだけだからな。俺がうっかり足を滑らせない限り、事故は起きない。別の車にアタックされたらどうしようもないがな」  トラヴィスは笑い飛ばすように言いながら組んでいた腕を外すと、同じようにジェレミーの背中へ伸ばした。  二人はごく自然に抱き合う。 「まるで恋人同士のようだな、ジェレミー」 「知らなかったのか」 「時々忘れるんだ。お前の声を聞いて思い出す。そういえば、俺と付き合っているもの好きな野郎がいたってな」  トラヴィスはどこまでジョークかわからない口調で(そら)とぼけると、大事そうに引き締まった背中を自分へ寄せる。  ジェレミーは小さく笑った。 「お前が忘れても、私が必ず思い出させる。問題はない」  そう言って顔を近づけると、少しだけ頬を傾けてトラヴィスの唇にキスをする。  トラヴィスも腕の中にある背中を強く抱きしめた。  二人はゆったりと気持ちよさそうに唇を重ね合わせる。ジェレミーのキスは魔法のように運転していた疲労感を溶かし、トラヴィスを(やわ)らげる。キスの味もいつものように甘ったるい。  何度も繰り返してようやく満ち足りたというように唇を離すと、ジェレミーはトラヴィスの左頬にまた軽くキスをした。 「何かいいことがありそうだな、ジェレミー」  トラヴィスは茶化す。  キスの相手は口元で笑んだ。 「それはこれからのお楽しみに取っておこう。まずは夕食だ。夜は長いからな」  薄暗い窓の外へ目を向けて言った。  ホテルのレストラン「カンパーニャ」は席が建物の外にあって、敷地内を流れるオーク川の側で食事ができるようになっていた。ドレスコードは特に指定されてはいないが、二人は着替えて向かった。「カンパーニャ」はほぼ満席だったが、老夫婦がタイミングよく席を立ってくれたので、初老のホストに案内されて(はし)にあるテーブル席に座ることができた。 「混んでいるな」  オフシーズンではあるが、ホテルは満室のようである。 「予約が取れたのは運が良かった」  テーブル担当のほっそりとしたウェイトレスが挨拶をしてメニュー表を置いた。ジェレミーが手に取って開く。  アンティーク調の木目の椅子に座ったトラヴィスは辺りをよく見回した。テーブル席は森林に囲まれていて、柔らかな風と豊かな自然の中で食事を取れるようになっている。満席のテーブルではホテル客たちがお喋りに興じている。会話の声は森の間に吸い込まれうるさくはない。すぐ側のせせらぎは清涼な音を立てながら流れている。空気は温かく肌に心地よい。夕暮れ時、木の枝に吊るされたランタンや土の上に置かれたライトが控えめに光っている。テーブル席にも小さなランプが置かれて、二人の手元をじんわりと照らしている。 「うまい飯を食べることができそうだ」  トラヴィスは中世の時代に出てきそうなランプに目を落とす。ガラス製で楕円形になっている。形はアラジンの魔法のランプに似ているが、先は尖ってはいない。丸く膨らんだ中央部分の中で皓々(こうこう)と光っている。台座は真鍮製(しんちゅうせい)だ。きちんと磨かれているのがよくわかる。 「お前の口に合えばいいが」  何気に食事にはこだわりがあるのを知っているジェレミーである。それも考慮に入れてこのホテルを選んだ。 「合うに決まっている。いいホテルだ。俺の予想では、最初にとっておきのコーヒーが出てくるはずだ」 「わかった。まずはコーヒーだな」  ウェイトレスがにこにことやって来て、コーヒーを二つ頼む。 「他のリクエストは何だ」 「特にない。いい雰囲気のレストランだ。何を食べてもうまいと信じている」  トラヴィスは上機嫌だ。傍から見てもわかる。  ジェレミーは了解したというようにメニュー表を閉じた。 「わかった。コースを頼むぞ」 「OK」  トレイにコーヒーをのせた小柄なサーバーが先に来て、「うちのレストランのスペシャルコーヒーだよ!」と明るく言いながら二人の手前に置いていく。  すぐに先程のウェイトレスも現れてコース料理の注文を聞いていく。ジェレミーがトラヴィスに確認を取りながら注文をし、赤ワインも二人分頼むと、ウェイトレスは渡されたメニュー表を片手に丁寧にテーブルを避けながら厨房へ向かった。
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