1.十九才 大学二年生 春 

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 道徳教育の講義は水曜日の二限だった。  三人並んで講義を受けるようになった。かがりを真ん中に。  かがりに向けられる隼の眼差しの、おすそわけをもらいながら。  かがりはシャープペンシルを握りしめなくなった。  かがりはたまに、僕のノートにちょこちょこと落書きをしたり、三人でお絵かきしりとりをしよう、と言って僕らを困惑させたりした。  彼女が僕に向ける信頼しきったような顔は、不可思議ですらあった。  嬉しくないわけではなかったのだけど。  教室を出たところにある広い廊下で、パールホワイトのジャージを着たグループとすれ違うことがある。  かがりは息を止める。  隼がそっとかがりの背に触れる。  かがりは息を吸う。一度ゆっくりと吐く。  ゆっくりと吐いて、と隼が囁く。  ほら、一度、息を吐ききってごらん。やさしく囁く。 「おはようございます」  お腹から声。きっかりと四十五度に倒される上半身。  かがりの髪がさらさらと肩からこぼれる。  まっすぐに伸びた背と首筋。  おはようございますと手を振って通り過ぎてゆく一団。時間帯に関係なくいつでも朝の挨拶。  かがりが顔を上げる。  まだ張り詰めた雰囲気を残すその頬に、隼が口付ける。 「あれは後輩なの」  秘密裏に爆弾を処理する特殊工作員のような口調で、かがりが僕に説明してくれる。 「部活の?」  かがりが頷く。 「ダンス部の」  似合う、と思った。  同時に、怯える小動物のようなかがりが人前で踊る姿は想像できなかった。 「踊っているときは言葉が要らないから良いの」  熱心に説明しようとするときのかがりは、肘から先が、物言うように胸の前で動く。 「隼がね、考えてくれたの。身体に覚え込ませればいいんじゃないかって。だから、一度息を吐ききってから声帯を開いて吸うの、お腹の所をね、お辞儀しながら縮めるの。声を押し出すの」  感心した。  声を出すシステムについて、そんなに真剣に考えたことはなかった。 「すごい」  僕は隼にも賞賛の気持ちを伝えた。 「確かに、動きと言葉が一体となっているみたいな、良い挨拶だったよ」
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