11.二十一才 大学四年生 初夏

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 第五スタジオで久しぶりにかがりが踊った後、僕は君を実家の母に預けてきた。  一晩、君の世話をしてくれるように頼んだ。 「コケだかカビだかにしか興味がなかった息子が、人間に興味をもったんだから、ありがたいと思うわ」  母は台所で君のミルクを作り始めた。  白々とした蛍光灯の明かりを背負った母の頭。  短い髪。クリーム色の、甘い匂いの粉。繰り返された実験手順をなぞるような手慣れた動き。  僕と隼が大学を休学せずに済んだのは、僕の母のおかげだ。  母が在宅勤務を申請してくれて、日中の君を見守ってくれた。  母はパンク・ロックを爆音で流して君の泣き声と競わせたりしていた。大人げというものがないのだ。  僕の時もそういう子育て方法だったのかと尋ねたら、幸人の時はモーツァルトなんか流してたからいけなかったわ、という返答だった。 「幸人がもしも独りに戻っちゃっても、死にはしないものよ。ひかりちゃんには、時々会いたいから、そのへんはよろしく」  母は僕の緊張を察しているふうだった。  僕は深呼吸した。  母のいつものそっけなさとミルクの匂いと君の匂い。  そういえば、僕はいつだって、独りではなかったんだよなと思った。  これからするのは、いちばん上手くいかなかったセックスの話だ。君が産まれてからした、最初のもの。
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