夏の清算

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夏の終わり。 まだ暑さの残る8月31日。 入道雲が高く伸びる青い空の下で白いワンピースを着た少女が私に振り向く。黒い長い髪の、まだあどけさの残る少し薄幸そうな美少女は私に微笑んだ。 私はこの夏に様々な体験をした。大きな成長をしたのだ。 今までの人生では体験した事のない物語の主人公の様な出来事を、夏の始まりにこの少女と出会ってからする事になったのだ。 全くモテなかった私の人生に、彼女が話しかけて来た事から始まった。 私はあまりに突然の出来事だったのでその時の事をよくは覚えていない。 ただ、その少女と出会ってからあまりに不思議な日々を過ごす事になった。 ”人語”を話す猫と出会ったり、”狐”が化けた少女と一悶着起こしたり、”大切な何かと大切な何か”を交換する古物店に赴いたり、存在しない町と”記憶にない私の幼馴染”の事件を解決をしたり他に様々な事件を解決した。 少女と私の二人でこの漫画や小説のような日々を過ごしたのだった。 事件の度に少女との距離も近くなっていった。私はその過程で大人になり、守りたい物ができたと思えたのだ。 そして、最後にこの一連の不思議な事件の総ての元凶である胡散臭い男と対決したのが昨日の事だ。 男との戦いにも勝利し、私と少女はこの夏の物語を終える事になった。 私と少女は終わりゆく8月31日を過ごしていた。激動のひと月を締めようとするには余りにも平凡な1日であったがこんな終わりも悪くはない。物語のエピローグはいつでも平凡で平和な終わり方をするものだ。 思えば少年時代の8月31日はいい思い出がなかった。今まで溜め込んでいたツケ、夏休みの宿題を終わらせる日だったのだから。 その先延ばしをする癖が、自分の人生を失敗させ続けていた事くらい自分でもわかっていた。 でも、そんな人生にも転機が訪れた。それが今年の8月だった。 「ようやく、終わったんだね。」と少女は私に言う。 私はこの様な発言すらもどこか物語の様だと思いながら「事件は終わったけれど、もしかしたらまだ何か起こるかもしれないよ。」と言った。 何故か”終わった”という言葉がどこか恐ろしく思えたのだ。この発言をすればこの少女との終わりを示す事になり、今までの全てが終わってしまうのではないか。そう思えたのだ。 「そうだよね。アイツの事だもの。もしかしたら、何かまだあるかもしれないけど…。でも、ひとまずは終わったと思いましょう。」と少女は言う。 そして、青空の下、透明感のある少女は私に微笑みながら 「ありがとう」と言った。 そして、すぐに少女の顔から笑顔が消え去った。 少女の透明感のある顔は、氷のような表情へと変化した。 その瞬間、風が吹いた。夕立の前の少し涼しさのある強い風。 少女の雰囲気がおかしい。 入道雲は少しづつ大きくなっていた。遠くで雷鳴が轟いている。 少女は私に背を向け、この夏、一度も聞いた事のない低く冷たい声色で私に 「じゃあ、清算の時間だね。」と言った。 「清算の時間?」と私は聞いた。何を言っているんだ、この少女は。 「あなたの清算は、この夏の事象に対する清算。あなたの、主人公の様な立ち振る舞いに対する清算。」と少女は言う。 「何を言っている。主人公の様な…立ち振る舞い…?」 「そう。貴方には色々感謝しているわ。でも、貴方のような何もない人間があんな立ち回りが出来たと思ってるの…?」と少女は私に冷たく言う。 「まさか…。出来ていたじゃないか。私にも…」 確かに、私は何もない人間かもしれない。何もない人間だからその度に努力をしたつもりだ。その時の”最大限”の努力を。 「確かにあの時は出来ていたわね。でも、考えてみて。何もしてこなかった人間が、急に今まで鍛えてきた、軍人の様な人間に対して戦えたかしら。全く魔術や妖術の類の研究もしてこなかった人間が、不思議な現象に対して太刀打ちできるかしら。」と少女は言う。 「君が、私に色々教えてくれたから、その教え方が上手かったから、理解も早く出来たんだ。だからそこから応用して…」と私が反論すると 「そうね、でも、貴方、人生でそんなに応用する事があった?色々なものから逃げて来たんじゃないの?」と少女は冷たく言う。 なんだこの女は…流石の私も少し腹が立って来たものだ。今まで様々な事件で手伝って来たのになんという言い様だ。 急に手のひらを返して…言いたい放題言うなんて…この1ヶ月の我々の冒険はなんだったんだ。 私は少し悲しくなってきた。今まで、私は主人公だと思って来たのだがこの少女のおかげで何かして来れたとでも言うのか。 第一なんなんだ。主人公の立ち振る舞いとは… 少し悔しくなり、涙声になった私は少女に向かって 「なんなんだ…主人公の立ち振る舞いって。なんなんだ、その清算って。第一、だとしたらなんで私なんかを選んだんだ!」と少女に叫んだ。 一回りも年下の少女に感情的に叫んだのだ。 いつの間にか空は暗くなっている。入道雲が発達し、今にも夕立が降るような、そんな空の下、少女は振り返り、冷ややかな顔を私に向けた。 「貴方が私と契約したのよ。夏の初めに。貴方と初めて会った時、私の為に8月の間、主人公の様な立ち振る舞いが出来る様になると言う契約をしたの。 それは、私にとっても有り難かった。あの時、私は一連の事件に悩まされていたから。誰か一緒に解決してくれる能力を持った仲間が欲しかった。でも、それを解決できるだけの能力を持つ人間なんてそうはいない。そんな中、死にそうな顔をした貴方が私の目の前に現れたのだから。」 私はその話を聞いた時、微かに1月前の記憶が蘇ってきた。 そうだ。思い出した。私はあの時、人生が余りにもうまくいかなくて…死んでやろうと思っていたのだ。 そんな時、少女と出会ったのだ。 「そこで貴方が死にたいと言うのだから、死ぬくらいなら最後に主人公らしい生き方した方が良くない?って言ったのよ。」 そうだ。少女に、そう言われたんだ。 「貴方に、貴方が手に入れる事ができないだけの力を与えたの。これは契約だった。」 そうだ。契約をしたのだ。少女と。その時にいたはずだ。”人語”を話す猫が。 立会人として。 「契約には、対価が必要だった。その対価を貴方は認めたの。」 狐の少女は私に言った。「そんな契約なんかしたらダメだよ。人生そんな事しなくたって…」「馬鹿な…人…」 私のその時の価値観には狐の少女の発言は相容れず、一悶着起こしたのだ。 「でも、貴方、その契約内容を忘れてしまったのね。あの古物商で。あの男と戦うために必要な物品と交換する為に奪われてしまったのでしょう。」 そうだ。あの時は、何を取られたか分からなかった。皆目分からなかった。 幼馴染との記憶を取られたのかと思っていた。 「でもね。感謝してる。ありがとう。でも、私は結局…貴方を道具として使ってしまっていたの。ごめんなさい。」 私は思い出した。 少女に初めて会った時こう言ったのだ。 「夏なんて好きじゃないです。いつもいつも先延ばしする癖が、私の人生を狂わせたのだから。思えば、夏休みの宿題かな。最終日に…やれば良いやと思って…」 そんな時、少女は笑ってこう言ったのだ。 「いいんですよ。貴方のそう言うところも良いところの一つかもしれないわ。そんな貴方にね…」 そうだ。少女は言ったはずだ。契約内容を… 辺りは完全に暗くなり雨が降り始めていた。 「貴方に結んでもらいたい契約内容はね、貴方が今のままでは手に入らない能力と主人公としての運の良さと都合を手に入れる代わりに、それを手に入れるために必要な”代償”と運で回避した”結果”を8月31日にするという契約なの。」 あの時の私は死んでもいいと思っていた。今とは違う。 古物商が私から取っていった大切なものは、私の死にたいと言う記憶と契約内容だった。 「だとしたら…私は…」 少し憐れみの目をした少女は私に優しく言った。 「大丈夫よ。貴方、夏休みの宿題を最終日にしっかりと終わらせた人間なのだとしたらなんとかなるんじゃないかしら。最後だからって諦めずに頑張ってね。」と。
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