飯島夜月

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飯島夜月

 渡された地図を頼りに、白菊と如月は飯島までたどり着く。途中までは籠が二人を運んだ。飯島に入ったところで、二人はおりた。  まだ曙。薄暗い道を提灯を手に二人は行く。ふと、目の先に、井出島屋の提灯。 駆けて寄ると、十七、八だろうか、それくらいの少女が提灯片手に立っていた。 「主は…」 「遠路はるばるおいでなされました、わたくし井出島屋の娘、お陸にございます。」 「私、白菊ともうします。」 「如月と申します」 「お話は伺っております、お入りくださいませ」  店先の暖簾をくぐり中に入る。心なしか酢の香りが匂う。 「井出島屋は鮨屋でございます、酢の匂いがするのはお許しを」 「心地よい香りだわいのう」 すんと、白菊はその匂いを吸い込む。 「はて、お陸どの、弥兵衛さまは何処に」 「ついてきてくださいませ」 畳に上がり、少し進んだ部屋、その中から灯りが見える。 「こちらに。父上」 「お陸かい、お入り。」  襖を引き開き、三人はその部屋に入る。白髪を生やした男がどっしりとそこに座っている。その雰囲気はどこか柔和だ。 「早朝からあ邪魔してしもうて申し訳のうございます、花菱屋如月と」 「花菱屋白菊にございます」 「井出島栄助だ、これ太夫さま方、面をあげてくだせえや、」 「あい」 「お陸、茶を」 「あいな、お父上。こちらに」 いつ持ってきたのか、二つ、湯呑みの乗った盆を手にお陸が現れる。 「こんなもんしか出せなくてすまんのう、」 「あいや、井出島の旦那。こちらとて押しかけた身。気にすることなぞござりません」 「そうかいそうかい…してこちらの旦那だが」  そういい、二人の目の前を栄助は退く。そこには、布団の上に横たわる弥兵衛の姿があった。 「あゝ、弥兵衛さまや、弥兵衛さまや」 白菊はその顔を見るやいなや、駆け寄り、着物の袖で愛しい男の顔を包み抱き込んだ。 「これお前さま、白菊が来ましたぞえ、目を覚ましてくださんせ、もうしもうし弥兵衛さまや」 と、喋りかけても弥兵衛はうんともすんとも言わない。白菊の元により、如月が弥兵衛の額に手を当てる。 「ありゃ、これまたすごい熱だわいな」 「かなりの時間水に使っておったような状態だ、生きていたのが幸福なくらいだよ」  聞けば、弥兵衛は30分ほど水に使っていたそうな。それも意識がないから溺死寸前のところを運よく網にかかって助けられたそうな。 「こんお方の生命力と言ったら」 お陸も感激を言葉に表す。 「されど、薬がないと来ちまった、ワシらにはどうにもできなくてのお。すまんのう」 と、栄助 「丸薬ならこちらに」  如月が己の懐から丸薬の入った包みをだし、白菊にわたした。 「お陸どの、度々申し訳ないのだが、水を持てきてはくれまいか」 「ただいま」 如月が主軸となり、弥兵衛の看病が始まった。大体の世話は白菊と如月が徹底して行った。 ──ある夜 「白菊や、少しは寝なはれや」 「…のう、如月」 「?」 「わたしゃ、ずっと待っておる。弥兵衛さまは寝覚めるかいのう」 「隣、座るよ。」  そう声をかけ、白菊の隣に腰掛ける。白菊の細いては弥兵衛の頬を撫ぜている。その手に己の手をかぶせ如月は言った。 「心配せずとも。弥兵衛さんはそう言うお方さ。」 「如月…!もうし弥兵衛さまや、わたくしも如月も待っております、はように、起きて、くださんせ」 そう言うと同時に白菊も眠りに落ちた。こんなふうに寝たのはいつだろうか。こんなのどかな夜はいつぶりだろうか。白菊も、如月も、いつの間にか忘れていた幸せな夜がそこにあった。 ──翌日 「…菊!しら…く!白菊や!」  如月の声と共に、体をゆすられ白菊は朝を迎えた。 「なんだい、如月…!!!弥兵衛、さま?」  瞼を眩しげに幾たびか瞬かせ、弥兵衛が目を開いた。と、その途端起きあがろうとするから、アイタタタタと声をあげ、またも布団の中に沈み込む。 「おや、誰かと思えば如月じゃあないか、と言うことはここは花菱屋かいな、それとも天国かい、最後のいい夢見してくれたんかい」  にへらと、幼子のような笑顔を見せる弥兵衛の頬を如月が思い切り摘む。 「アイタタタタ」 「目覚めて一番何を申すかと思っていたら、そんなことかいな。つまらない男だわいのう」 「アイタタ、如月やまさか現実と来たかい」  つねられた方の頬をさすりながら周りを落ち着きなく見回す男。その目にふと一輪の花が写った。男は一度自分の掌で頬を軽く打った。乾いたようなペチンという音がした。  そうして弥兵衛は布団の中に潜り込んだ。白菊は布団から出ている弥兵衛の頭を包み込み、いう。 「もうしもうし弥兵衛さんや、弥兵衛さんや。目を開けてくださんせ、こちらを見てくださんせ。」 それでも狸寝入りをかます弥兵衛に白菊は 「これお前さまや。起きなはれ、朝がもう来よったぞえ」 と、無理やり瞼を開かせる。 「まさか、この白菊のことを忘れたとは言わせない」 「そんな、滅相もない!!このわしが白菊どののことを忘れるなぞ」 真っ赤にした面をあげ、弥兵衛が叫ぶ。 「お主のことを忘れた日なぞ、わしゃ1日もないわい!!」 「あれまあ」  盛大な告白だ。弥兵衛は今の瞬間、自分が言った言葉に驚きを隠せず、口をハクハクさせる。白菊も白菊で、着物の袖口で己の口元をかくし、目を真ん丸くし、静止している。 「それならお前さま、わたしに会いとうないとはどういうことかいな!わたしゃわずろうて、悩みになやんだというに」 「わたしにも心の準備というものがあるゆえ」 「ちと時間がかかり過ぎではないかいな」 「男心とはそう簡単なものではない!」  起きた途端に口論を始める二人に如月たちは呆れて、ため息をつくしまい。 まるで夫婦の痴話喧嘩だ。 「そもそも白菊殿とて、わたくしとは会いたくなかったんじゃないのかい」 「何を言われるか」 「いつもあなたはわたしから目を逸らしてばかり!なんとも軽い目であろうか!」  弥兵衛もつい言いすぎた。しかし後悔先に立たず。言ってしまったものはもう遅い。その言いようにさすがの白菊も涙して 「わたくし、一人でずうとお前さまをお慕いしており申していたのに、男女の仲は難しいとはいうものの、そのような言い草、あまりに酷い。 時に如月を羨ましく思ったこともあったこのわたくし、そのような言われようは あまりに酷というもの」 と、語る。さすがの弥兵衛も拗ねた心を元に戻し、白菊に向き直った。 そしてその腕の中に白菊を抱える。 「白菊どの、」 「お前さま…」 先ほどまでのことがなかったかのように二人はひしと抱き合う。 「弥兵衛さま、お慕いしておりました、弥兵衛さま」 「すまんのう、白菊どの」  弥兵衛の着ている着物は白菊の涙で濡れている。  そんな二人の姿を、如月は幸せそうに見ているのであった。
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