11. 暴かれた過去

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湿った生ぬるい風が頬を撫ぜていく。 痕跡を残さずに姿を消す。 つまり、二度と洸の前に姿を見せないということ。 二度と会えなくなる。 頭の中で反芻すると、胸の深いところが音を立てて痛んだ。 「……あの、私たちはまだ正式に婚約したわけではなく、半年間だけの期限付きでした。今の生活もあと1ヶ月と少しで終わります。そうしたら私は出て行きますし会社も辞めます。だから、それまで待ってもらうことはできませんか」 「それは難しいですね、先方の希望は今すぐだそうですから」 知らず知らずの内に原稿を握る手に力が入って、気がつくと握った部分はぐしゃぐしゃになっていた。 「もし私がすべてそちらの要求通りにしたら、絶対に記事にはしないんですよね?」 それが守られなければ意味がない。自分の過去に何の関係のない洸を巻き込むことだけは、絶対に避けなければならない。 「それはもちろん。先方も、できることなら望んでいないので。それを私が反故にすれば私も大金を失いますしね」 確かに、それを望みなら自分にこんな交渉を持ちかけずにさっさと記事にさせるだろう。洸に恨みがあったり貶めたいとは思っていない、むしろそうはさせたくないと考えているように感じた。 逆に、自分のような後ろ暗い過去があるような人間を、洸から引き離したいと思っている。氏原の『依頼人』が提示する条件から、清流はそう思えた。 そうだとしたら。 要求通り自分さえ洸の前から姿を消せば、すべて丸くおさまる。 「…出て行くこと自体は、すぐにできます。 でも、会社を辞めるとなったら、多少なりともキリの良いところまでは終わらせたいですし、次に引継ぎしやすい状態にしたいんです。なので、1週間猶予をください。1週間後にはすべてそちらの要求通りにします。だからそれまで待ってください」 今は第二四半期の決算時期。忙しさのピークは来週までだ。来週を乗り越えればいったん仕事は区切りがつく。 急に辞めるのはそれだけで十分迷惑をかけることになるけれど、せめて最後はちゃんとお世話になったメンバーの役に立ちたい。今手持ちの仕事も終わらせて、合間に引継ぎ資料を作る。1週間あれば何とかなるはずだ。
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