紫菫色の闇★キスシーンあり

1/2
前へ
/19ページ
次へ

紫菫色の闇★キスシーンあり

 盛夏もこの日は気を利かせたのか、陽は高くなったものの、爽やかな風の心地良い午後だった。    引っ越しの荷解きも粗方終わり、一息ついた蔵内 禅(くらうち ぜん)日比野 於菟(ひびの おと)は、小さなダイニングテーブルを挟み、気が合ったように同時と窓外へ視線を馳せた。    ベランダを見越した遠くに、勤め先の研究所が確認出来た。車を出すほどでも無い距離に、同じことを思ったか、顔を見合わせると笑みを交わした。   「結構な朝寝坊が出来るな──」  思ったことを口先に乗せた禅が立ち上がり、勢いよく掃き出し窓を開けると、一気に外の熱気が流れ込み、エアコンは大きく唸りを上げた。 ムン──と()せ返る熱風に少し躊躇うも、煙草を手にベランダへ降りた禅は、   「なぁ……自分の部屋まで禁煙は勘弁だぜ──」  硝子越しに振り向き鼻に皺を寄せた。目を閉じ、呆れたように首を振った於菟は、   「ここも賃貸なんだからね。前の部屋を明け渡す時、懲りたでしょう?」  煙草のヤニで汚した壁の所為で、本来戻るはずの敷金は戻らず、更にはその金額を上回る程の修繕費を請求され、経済的打撃に泣いた二人だった。   「いや、煙草より、蹴り壊したクローゼットの壁と、真っ二つに割ったバスルームの扉だろ?」  咥えた煙草にライターの火を寄せた禅は、煙草の容認を訴え語気を強めた。   「──ここも破壊したら、許さないからね」  禅に倣いベランダへ降り立った於菟が、煙草の煙に手を翳して顔を顰めると、   「どう……許さないんだよぅ──」  言葉と同時に拗ねた顔を作った禅は、於菟の手首を捉え乱暴に胸に引いた。 素直にその胸へ抱かれた於菟は、寄せられた顔に『煙草くさい』と呟くも、口唇を重ねられると応えるよう、素直に自分も口唇を緩めた。  (こな)れた舌技に甘く酔い掛けた於菟だが、通りに面した三階だ、隣りの公園からも子ども達が上げる歓声が届き、人目を気に掛け『駄目だよ、ここじゃ』と身を捩った。   「良いよ、見られても……」  無責任な口振りで返した禅は、それでも渋々と口唇を退けたが、抱き締めた腕は解かず、もう一度と、口唇を向けた。甘い吐息に絡め『駄目』と遮った於菟は、   「──ここに、いられなくるよ」  腕からすり抜け素早く室内へ戻り、その勢いで窓を閉めるとガラス越しに『あかんべえ』を見せ笑った。追い掛けるでも無く、視線で於菟を舐めた禅は、不満を嗤い『ちぇ──』と呟いた。    煙草を吸い終えた禅がリビングルームへ戻ると、於菟はソファーに投げた洗濯物を丁寧に畳んでいた。部屋へ戻った禅に気付くと、   「──昨日の……ショッピングモールで会った子……彼女?」  唐突に口にして、禅の顔をチラ──と窺った。視線が合うと先に逸らしたのは於菟で、   「女の子……泣かすのは感心しないな──」  問い掛けて置いて、返答も待たずにボソリ──とこぼし、畳んだ洗濯物を抱えて立ち上がると、何処か気不味そうにそそくさとリビングルームから逃げた。     禅の部屋(ベッドルーム)へ立ち入った於菟は、ベッドの上へ洗濯物を置き、深い溜息を一つ着いた。 真新しく白いシーツが薄暗い部屋で、ぼう──っと発光しているようだ。  この北側の部屋(ベッドルーム)は、ことの外静かだった。 僅かばかり開けた窓から聞こえる風鈴の音が、於菟の耳に涼しさを届け、穏やかで静かな日常に胸を安堵させた。 それは──禅がいたからこそ取り戻せた日常だった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加