夏霞に満ちた月

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夏霞に満ちた月

* * *   夏らしい残陽と、乾いた熱風が堪える夜だった。  連日の記録的な暑さに街は茹だり、夏も立秋を過ぎた筈なのに、傾向いた太陽は、依然存在感を放っていた。    この日、地域の鎮守は夏祭りだった。  連れ立って出向いた(ぜん)於菟(おと)の二人は、参道で賑わう出店の種類に目を(みは)り、列を作り押し寄せる人出の多さに圧倒されていた。    二人は暢気(のんき)に夕涼みと当て込み、浮かれて着込んだ浴衣に少しばかり後悔していた。    人混みで尚のこと(いき)れ、浴衣は涼など取れずに汗ばみ、肌に張り付くようで、苛立ちに唸った禅が胸元を大きく(はだ)けた。  団扇の風を送りながら笑った於菟が、香穂(かほ)と交わした約束の時間を大幅に過ぎてしまったことを(やん)わり指摘すると、慌てて時刻を確認した禅は、於菟の背中を促しながら人混みを掻き分け、香穂と交わした落ち合う場所、『弁天橋の柳』へ急いだ。      一方、待ち合わせの場所で待つ香穂は、黒地に薄紫色の睡蓮と、茜色の蝶々が一際個性的な浴衣を着(こな)し、擦れ違う男どもは一様にその雅な姿を目で追った。  中には臆面もなく声を掛ける輩もいたが、冷たく無視した香穂は、どこ吹く風よ──と言った具合に見向きもせず、夜風に戦ぐ柳の小枝を眺めていた。    一昨日の夜、期待するとも無く、それでも香穂は心の片隅で待っていた禅からの電話で、あの日の約束通り『詳しい話』を耳にした。    急な転居の理由と、細かい話は聞けず終いだったが、職場の同僚と住居を共にする経緯(いきさつ)を聞いた。  その同居人が、ショッピングモールで会った、日比野 於菟(ひびの おと)と知った。    その途端、香穂の蟠りが一気に解けた。禅に感じていた猜疑が晴れ、ここ数ヶ月香穂を苦しめた想いはただの取り越し苦労と判り、禅を疑い悩んだ自分が愚かと知ると、胸の(つか)えがストン──と落ちたのだ。 気持ちが晴れると共に、今夜この夜祭りに誘われた──。      約束の時間を随分過ぎ、それでも一向に姿を見せない相手に少しばかり苛立つも、香穂の胸には暖かい気持ちが広がった。  朱い橋の(たもと)、柳の脇に立ち、待ち惚けにも禅への恋しさに胸が騒めいていた。  通りすがった小さな子どもが、訳も無く高い声で叫び声を上げたが、その(やかま)しさも愛しく赦せる香穂だった。    晴れやかな思いで静かに暮れた空を仰ぐと、紅味掛かったい満月が、照れるように雲に隠れた瞬間だった。その時、行き交う人々の騒めきがBGMに変わり、遠くへ追いやられると心地良い声が耳に届いた。 
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