紫菫色の闇★キスシーンあり

2/2
前へ
/19ページ
次へ
 風鈴を奏でた心地良い風は、ベッドルームに吹き込んで来ると(いき)れを(さら)い、於菟(おと)の頬を掠めて逃げた。    白いシーツへそっと手の掌を滑らせると、この二月(ふたつき)ほどの安寧(くらし)と、そこまでの道程(いきさつ)が於菟胸に騒めきを起こし、同時と甦る男の影に、甘く悩まされ始めるのだ。 押し寄せた追憶と葛藤に項垂れ、背後から忍び寄って来た(ぜん)に気付けなかった於菟は、抵抗する間も無く飛び掛かられると、あっさりとベッドへ沈められてしまった。   「いきなり、何だよ──」  驚いて抵抗し、多少大仰に刺々しく口走ると、   「いきなりじゃ無きゃ、良いんですか?」  揶揄(からか)う口調でほざいた禅は、馬乗りに於菟を抑えると、   「──俺に彼女はいないって、言ったよな? そもそも泣いちゃないし──」  ニヤニヤ嗤いで、先ほどの会話を引き戻した。   「そう思ってるのは、禅の方だけじゃない?」  妖しく熱を帯びた視線を、真っ向から受け止めた於菟は、   「──引っ越した連絡くらい、して上げなくちゃ」  身体を揺すって、抑え付けられた下肢に不服を見せると『可哀想だよ』と続けた。  もっともな指摘に僅かばかり反省したか、気の抜けた返答を口にしながら企み顔を作り笑った禅は、上体を反らし思わせ振りな仕草でシャツを脱いだ。  仰々しい動作は於菟を(すく)ませたが、小さく息を吐くと観念したように伏せた瞼蓋の隙間から、禅の左腕の妖しく美しいタトゥーを窺い見た。  チカーノと言う呼び名の、メキシコギャングが発祥のタトゥーだ。 若気の至りと本人は言うが、勢いで施せるようなの類いでは無く、芸術作品と呼べるような代物(シロモノ)だ。 「ちゃんと見ろよ、俺を……俺だけを──」    伏せた視線を逸らされたことに、不満を呟いた禅が、小さな顎に指を掛け上向かせると、一瞬驚いたように目を(みは)った於菟は、また小さく吐息すると静かな瞬きを見せた。  己が仕向けたことなのに、当てられた視線に(むせ)ぶよう、禅は息を詰まらせ動きを止めた。    見据えたそれは、左右アンバランスな色彩(いろあい)の不思議な瞳だ。  左眼の代わりに綺麗な紫菫色(すみれいろ)の義眼が嵌まっている。義眼と言っても、無機質さを感じさせない、大変素晴らしい物で、それを与えた男の執着ぶりがチリチリと禅の脆い部分を妬く。    於菟の視線を受ける度、しばし紫菫色に見惚れる禅は、何時ものように右眼に視点を(はぐ)らかす。そして探る──於菟の胸に蔓延(はびこ)った闇を。闇に潜む男の影を──。  俄かに苛立ちが禅を襲い、腹の(うち)で悪態を吐き、於菟から身を退くと不貞腐れたように、ベッドへゴロン──と仰向けに寝転んだ。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加