new moon・鼓動

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new moon・鼓動

   身体を解放(はな)された途端、直ぐさま起き上がった於菟(おと)がベッドを降りかけると、手首を掴まれ引き戻され、於菟の視線を待ち受けていたのは焦燥(もど)かしさに苦しむ(ぜん)の顔だった。    苦悶を一時的に解す言葉は只一つ、『愛してる』だけで、禅がそれを言葉に乗せようと口を開きかけると、まるで阻むようにスマートフォンが着信を鳴らした。反応は見せたが応えずにいると、近くにいた於菟がそれを手にし、 「無視しちゃ、駄目だよ──」  念を押しながら禅に手渡した。於菟の言葉に察しを付け、画面を見ると執拗に鳴るそれは、先ほど話題に上った香穂(かほ)からの着信だった。  愛想の無い短い言葉で、如何にも迷惑そうに応えた禅に、   『休みでしょ?』  今日の休日を確認すると、併せて予定を訊いて来た。取り立てて予定の無いことを伝えると、   『──行っても……良い?』  返って来た声は、言葉尻を甘く(ぼか)す甘えた口調だった。  少しの間を流し『独りじゃないぜ』と禅が伝えると、今度は香穂が間を流した。    会話の内容に気を利かせたか、於菟はそっと部屋を出て行った。静かに閉じた扉の向こうに遠去かる足音を聞いた禅は、電話の相手依りもそちらへ意識を送っていた。   「──悪い、落ち着いたら詳しく説明する」  長引く沈黙に意味を見い出せず、一方的に通話を終えてしまった。    沈黙したスマートフォンを手放せず、香穂の心は予想外の言葉に、心が迷子になってしまったようだった。悪戯に感情を掻き混ぜた、禅の一言が憎らしかった。          ***    この月、二度目の新月だった。  浴室から戻った於菟がリビングを覗くと、そこに禅の姿はもう無く、濡れた髪をタオルで撫でながら自室へ向かい、禅の寝室を横切ると、細く空いた扉の奥から声を掛けられた。    少し躊躇い扉の前で立ち止まった於菟は、二度目に声を掛けられると、覚悟を決めたようにその扉を引いた。    薄暗い寝室からフワリ──と香が漂って来た。禅が好きな伽羅の香だ。導かれるように足を踏み入れると、いきなり手首を引かれ、ベッドに引き倒され、『あぁ──来た』とその時を意識しながら、飢えたような接吻(くちづ)けに酔い、禅の熱い昂ぶりを感じると、覚悟が挫かれたように身体を強張らせた。   「今夜は逃がさねぇからな──」  於菟の躊躇いを察知すると、和ませるようお道化た口調で禅は囁いた。『判ってる──』と返したが、   「──でも少し……怖い……怖いんだ──」  震える声のまま於菟は身体を硬直させた。暗がりに禅の表情は窺えないが、微かに声を発て嗤われ、   「何が怖い? 俺に抱かれるのが……怖いのか?」  強く腕を引き、広い胸に堕とされた。  欲望を抑え、ただ触れ合わせるだけの優しい接吻(くちづ)けを受けながら、於菟の胸に湧き起こったのは止めどない哀愁だった。  短い間に暴かれた御都部 皓祀(みとべ こうじ)への恋……なのに突然打たれてしまったのが皓祀からの終止符だった。『さよなら』も無いままに、この世から消えた皓祀──驚きに於菟は悲しむ間も無かった。  傷心の於菟へ寄り添い、何も聞かぬまま、持ち前の優しさで癒し続けたのは禅だった。皓祀への追慕を抱きながらも禅に惹かれ、心を寄せ全てを委ねようとしている自分に苛立つ於菟は、幾度と無くを避けて来た。   (彼にフラれたから、禅に乗り換える訳じゃ無い──)  胸の内で呟いた於菟の胸を苦しめるのは、消しきれない男の影。その影を消せないまま禅に抱かれることに、深い罪悪感依りも、御都部 皓祀を忘れようと決心の気持ちを固め挑んだのだ。   「準備は良いぜ……さあ、俺はどうしたら良い?」  照れ隠しのように喉を鳴らした禅は、於菟の心の内など知ることも無く、ベッドの上に正座をし、妙に畏まって見せた。
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