女の仕置

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       女の仕置

 石川一貴に将康の室・安佐への言伝を依頼して駿河へ向かわせ、宗冬も直獅郎を追いかけて里へと向かった。  直獅郎の近習の案内で畑地へ急ぐと、既に葛が藤森衆を総動員して剣戟を交わしていた。相手は大名の兵といった装備ではなく、どう見ても地侍の類である。 「若」  宗冬に気付いた葛が、目の前の敵を鮮やかに切り捨てて駆け寄ってきた。 「これは何とした」 「喜井家と隣り合う国衆・阿達時元の一党にございます。やつらは街道とは別の進入路をよく知っていたようで、本隊の旗色が悪いと見るや、間道を使って山間から回り込んだ様子。とはいえ流石に直獅郎様、備えをされていた様子にて、間も無く収まります」  しかし、丹精込めて育てた畑が、ひどく荒らされてしまっている。ここの収穫が谷の者達の命となろうに、これでは夏を越す備えもできまい。 「阿達時元(あだちときもと)をとらえたぞ!」   家が並ぶ集落の方からの叫び声に、葛は蒼風の轡を取って馬首を巡らせた。 「先に行く」  宗冬は蒼風を急き立てつつも、慎重に畦道を進んだ。  所々に死体が転がっている。泥にまみれたそれらは、しかしながら略奪者のものであり、里の者と思しき死体はそのうち数体にも満たなかった。  普段であれば肥と緑の匂いに包まれているであろう夕日の下、充満するのは血の匂いばかりである。    一際大きな茅葺き屋根の農家の庭先、里人が囲い込む中に縄目の時元が座していた。そのふてぶてしい髭面と向かい合うようにして、直獅郎がどこかのんびりと農家の縁側に腰を下ろしていた。その奥の座敷には、予め収穫しておいたであろう葉物や根菜がびっしりと藁敷きの上に並べられていた。 「殺せ! 」 「そう申されてもな。色々と話していただかなくてはならぬ事があります故」  喚き散らす時元にそう答えた直獅郎は、手近にあった人参をかぶりと口にした。 「おお、甘くできておる。良い出来じゃの、甚右衛門」  すると、人だかりの中にいた白髪の老人がにっこり笑って頷いた。 「そうじゃろて。姫様がお手づから育てた人参じゃ。戦の前に収穫しておいて良かったわい。それとのう」  好々爺とした老人の目が鋭く光ると、背後から縄目の中年男が二人突き出された。 「どんな他所者も受け入れるのが姫様の良いところじゃが、時々こういう輩がおってな。こやつらが、時元を手引きしたんじゃ」 「ち、ちがう、俺たちはただの食い詰めで……」 「食い詰めモンが、博打に大金賭けるか阿呆。お前のやっとることなど、筒抜けじゃ」  蒼風から降りて輪の中に入っていった宗冬は、直獅郎の国造り、自治の妙味に感心していた。決して圧する事なく、土地の者の心をしっかりとつなぐ事で連帯感を生み、異質なものをあぶり出す。かといって流れてきた者達を排除したり差別するのではない。ただ、ここの暮らしに馴染まない者もしくは馴染もうとしない者が、まずもって異質なのだ。 「宗冬殿、市蔵殿にはお助けいただきました」 「何のことがございましょう。しかしこの者の仕置はいかが致されます」 「そうよのう……」  直獅郎は立ち上がり、縄目の時元に顔を近づけた。 「稲川に尻尾を振る国衆(くにしゅう)はまだいるが、そろそろこんな埒も無い小競り合いはやめにしたい。どうじゃな時元殿、我ら国衆が一つにまとまれば相当の力となる。それが恐ろしゅうて、稲川はさんざんに我らを(はか)って分断いたすのじゃ。翻弄されるまま命を落とすなど、口惜しいと思わぬか」 「うるさいっ、女のくせに偉そうに」 「おやまぁ、口を開けば誰もがそれを申す」  直獅郎はおどけるが、宗冬は込み上がってくるものを抑えられず、刀を抜くなり時元の首筋に刃を当てた。 「うつけめ! この直獅郎様は見事な御差配にて民を守っておられる。このように卓抜した手腕からは学ぶことばかりじゃ。女、女と蔑む前に、己の不能を恥じ、人としての不明を恥じよ。女と侮っては、今にそこもとの地縁はこの世から消滅すると知れ」  怒りを滾らせる宗冬の手を、葛がそっと両手で包み込み刀を降ろさせた。 「もう、ようございましょう。直獅郎様にお任せを」  肩をかすかに震わせる宗冬を庇いつつ、葛はそっと直獅郎に黙礼をして人だかりから去った。  不機嫌なまま食事もろくに口にせぬ宗冬を何とか休ませ、葛は館の中庭を桜色に染める大木を見上げていた。 「休まれたか」  優しげな声に振り向くと、女物の小袖に着替えた直獅郎が徳利と盃を手に立っていた。 「ようやくに。疲れに逆らえずに休まれたとはいえ、おそらく夜半には目が覚めてしまわれることでしょう」 「大手柄であった故な。宗冬殿は、人を殺めたは初めてか」 「ええ。初陣ではお飾り同然のようでしたから、おそらく照素殿が初めてかと」 「それは眠れぬであろう」 「直獅郎様は。貴女様がおらぬでは、宴が盛り上がらぬのでは」 「男ばかりの宴は苦手でのう。しかも阿達殿が加わりここぞとばかりに乱痴気騒ぎをしておるわ」  直獅郎の背後、奥座敷の広間から男たちのどよめきが地鳴りのように響いてきた。 「男の振りはできても、男の飲み方はできぬ」  そう言うと、直獅郎は縁台に腰を下ろし、盃に酒を注いで葛を手招いた。 「私は人質である主人の、その家人にございます。到底……」 「誰も見てはおらぬ」  さらさらと、僅かに残っていた花弁までもが大木から舞い落ちてくる。葉桜になりかけているその木を一度振り仰ぎ、葛は地面を埋め尽くす花弁の上を爪先でそっと歩いた。そんな仕草は、家人の姿をしていても可憐ですらあり、直獅郎はそんな葛の様子を楽しそうに見つめていた。 「頂戴仕る」  隣に座した葛と盃を翳し合い、二人は同時に酒を飲んだ。無意識に、葛が親指で盃の縁をなぞり、袂の中の手巾で指を拭った。淀みのない美しい所作である。 「普段、紅をつけ慣れておるのだな」  しまったと、焦りを隠すように葛が咳払いをした。 「習い性とは恐ろしいな。侍の形をしていても、女の仕草が顔を出しておる。と言うても、その実、女というわけでもなさそうだな」 「お戯れを」 「女の私の目は欺けぬ。石川殿に聞いたが、宗冬の側には常に、美しい腰元が従っておるそうな。今は守役と称してそのようにしておるが、女の仕草の方が余程違和感がない」  空になった直獅郎の盃に酒を注ぎ、葛は笑った。 「敵いませぬな、獅尾(しお)姫様には」 「よう申すわ」  一気に飲み干し、直獅郎は豪快に笑った。 「そなたを見ておると、私がどれほど粗野なのかを思い知らされるようじゃ。粗野なら粗野なりに、独り身でこの家を守れれば良いのだが」 「そうも参りませぬか」 「うむ。私がこのような仕儀となるだけに、男の、次の世代の跡目がおらぬのじゃ」 「稲川頼将の度重なる出征の要請にて、主だった男子が戦死なされたと承りました」 「唯一残っておった私の従兄などは、(だま)し討ちにあった」  空の盃に、葛が再び酒を注いだ。徳利を傾ける指先が、何とも艶かしい。 「好いておられましたか」  伏し目がちに問いかける葛に、直獅郎は一瞬だけ口元を固く結んだ。 「さあな、もう覚えておらぬ」  豪快に笑う直獅郎だが、ふと、口を閉ざして苦々しげに酒を煽った。 「お辛うございましたな。それだけに貴方様の胆力は、並の男では太刀打ちできますまい」 「それが時々、ひどく疲れるのだ。男のふりをして命のやり取りをすることにも、谷の皆の命を預かって阿達殿のような連中と駆け引きをするのも」 「私に言わせれば、女の方がよほど強いと思いますが」 「何」 「男のふりなどする必要はございますまい。獅尾姫様のまま、谷を率いてゆけば良いのです。好いた男ができたら、子を成せば良い。そうやって代を継いで行かれれば良い。男を演じようと考えるから、疲れるのでございます」  直獅郎は、ぽっかりと口を開けたまま、そう言い切る葛の横顔を見つめていた。男の声で紡がれる言葉ながら、まるで美しい姉に言われているような錯覚を覚えたのだ。 「市蔵は、女を演じてはおらぬのだな」 「え……あ、まぁ、そうなりますか」 「なんじゃ、煮え切らぬな」 「分からぬのでございます。どちらも偽りない自分のようでもあり、偽りの自分のようでもあり……母がつけた名は葛と申します。腰元の時は、そのように名乗っております」 「葛、か。好いた男はおるのか」  葛が無言のまま桜を見上げた。その桜の花吹雪の中には誰がいるのかと覗こうとした直獅郎だが、葛が口元に手を当てて微笑したその仕草の美しさに気を削がれてしまった。 「普通、好いた女子は、ではありませぬか」 「それもそうだが、その姿で女を口説くより、女の姿で男を好いている方がしっくりするような気がしたのだ」  とうとう葛は声を上げて笑った。あくまで美しく。 「言い寄る男は、たんとおりますよ」 「ほら、やはり」 「しかしながら、今は宗冬様をお守りすることが何より大事……男に(うつつ)を抜かしている時ではございませぬ」 「ほら、やっぱり! 現を抜かす相手は、男、なのだろう」  答えを得たりと直獅郎が笑うと、葛が思わせぶりに直獅郎へ視線を流して見せた。色めく目尻の美しさにぞくりと体の芯が震えるような感覚を覚え、直獅郎は思わず蕩けたような溜息をついてしまった。 「男でも女でも、惚れさせてこその、玄人でございますから」  侍の姿のまま女声で答え、葛が柔らかくしなを作って微笑んだ。その余りの婀娜っぽさに、直獅郎は見惚れたまま盃を取り落としてしまった。 「このくらいはお出来になられた方が、何かと便利というものでございますよ」  御免くださりませ、と柔らかく腰をかがめ、葛が辞儀をした。 「何とも奥深いことじゃ……」  男にしては線の細い後ろ姿を見送りつつ、直獅郎は一人呟いた。           
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