痛手  

1/1
前へ
/77ページ
次へ

       痛手  

宗冬は宗良を後ろに庇い、雪崩れ込んできた長野兵と刃を交わしていた。易々と城に攻め込まれ、城の縄張りに慣れていない奥川勢は右往左往であった。  将康が石川勢と酒匂勢を騎馬で場外に出し、北に数里の阿木城を抑えさせた。藤森衆の伝令が飯田城の長野勢が伊那街道を南下して岩村に向かっていることを告げた。 「それと、小頭が負傷を……」  粗方の混乱を収め、宗冬が味方の兵を立て直した頃、新たにもたらされた知らせに思わず刀を取り落としそうになった時、漸く血刀をぶら下げた葛が姿を見せた。 「お側を離れて申し訳ございませぬ」 「何の事は無い。碤三は、無事か」 「既に手下に京へ運ぶよう命じてございます。ええ、あのくらいで死ぬような男ではございませぬ故、ご案じめされますな」  返り血で染まる葛の凄絶な美貌に、宗良が固唾を呑むのが分かった。 「馬場近くの北斜面が破られたと聞いたが」 「守備に当たっていた大坪勢が、毒の入った昼食でほぼ全滅したようにございます。何の、敵の伏兵は全て殲滅いたしましたが、城内に敵の内通者がいるのは間違いございませぬ」 「物見の兵は如何した、まさかおまえ一人で……」  あらたに駆け込んできた敵兵を一閃で斬り捨て、刀に血振りをくれながら振り向いた葛が、目に怒りを込めたままに頷いた。 「物見の弓隊は全滅、あんな雑魚は私一人で十分……長野資清と木曽忍、決して許さぬ」 「待て葛。怒りに任せては仕損じる。いつものおまえなら、冷静に敵の動きを分析して動く筈だ。構わぬ、私に命じよ。どう動けば良い」 「では蒼風に。飯田の城兵はほぼこちらに注視しております。奥川殿から二千を借り受け、恵那山の麓を横切り、一気に飯田まで攻め上りましょうぞ」  機動性に優れた二千のみを借り受け、宗冬と葛は混乱する岩村城から駆け出した。    既に苗木城からは木曽氏の居城・福島城攻略に織田島軍が出陣していた。元を正せば長野氏はこの木曽一族から分かれていた。故に絆は固く、高田家とも縁が深いため、調略で織田島に靡く様子は皆無であった。  織田島軍はあっという間に木曽氏の支城を攻め落とし、既に福島城の外堀も制圧していた。地の利のある明智宗兵衛を軍師に、勇猛果敢な武将が東西南北を固め、総攻撃を待つばかりとなっていた。 「将康め、何をぐずぐずしておるのだ」  岩村城が長野勢に翻弄された知らせを受け、その進軍の遅れぶりに宗近が腹立たし紛れに床几を蹴倒した。 「もう秋だ。本当ならとうの昔に諏訪まで辿り着いていた筈だったのだ」  ギリギリと爪を噛む宗近の元に、宗兵衛子飼いの忍が駆け込んできた。 「申し上げます」 「何じゃ」 「織田島宗冬様、喜井政虎様、本戸勝重様ら奥川勢が、飯田城の支城を攻め落としましてございます」 「ほう、してのけたか、あの人質めが」 「長野資清は中々の策士、さんざんに岩村城を翻弄しましたが、松尾城と鈴岡城が取られては裸も同然。流石、目の付け所が良うございまする」  忍の背後からのんびりとした声で宗兵衛が報告をしながら陣幕に入ってきた。 「いや、疾風怒濤とはこの事。素晴らしい若君にござりますな」 「たまさかの事であろう。直に総攻めにかかる、支度せい」 「承知つかまつりました」  褒めそやす宗兵衛をギロリと睨み返し、宗近は陣幕から出ていってしまった。    飯田城の前哨基地とも言える松尾城と鈴岡城は、それぞれ長野家の分流である小笠長野一族が治めていた。二つの城は地下で繋がっており、物資の往来などもよく行われていた。宗冬はまずその地下道を使って両城同時に兵を内部に送り込み、城門を確保させた。本丸から城の本隊が駆けつける頃には、城門を破って奥川勢が雪崩れ込み、喜井衆の鉄砲の威力の前に瞬く間に制圧されたのだった。  無用な流血を避けたいと、城主長野佐忠は自ら腹を切った。後を追おうとする正室や子等を制し、城内に入った兵達には厳しい規律を課した。主だったものは城下へ逃げ出し、佐忠の家臣達の殆どは宗冬の傘下に入った。元々資清の酷いやり方が嫌いであった佐忠が、遺書によって奥川への帰順を命じていたためでもあった。  地下道を斬り開いた藤森衆と本戸勝重の兵を労い、松尾城の本丸を本陣として陣幕に腰を下ろした宗冬に、葛が湯漬けを差し出した。 「このようなものしかございませぬが」  碗を差し出す手甲は血が染み付いている。無論洗ってあるのであろうが、変色して茶色くなったその手甲に、宗冬が指先を這わせた。 「随分と、酷い事をさせたの」 「若」 「このように湯漬けを誂えてくれる優しい手で、葛は人を斬る。私のせいじゃ。私がいつまでもこのような身の上であるから、葛を修羅の中に沈めてしまうのじゃ」  湯漬けを宗冬の手に握らせ、葛は跪いて宗冬の膝に手を重ねた。 「何のことはございませぬ。若がかようにお働きなされ、お手柄を挙げられればそれでようございます。戦の無い世を作るは奥川殿に非ず。貴方様に他なりませぬ」 「葛……ずんと遠い話じゃの。どれほど人を殺めれば良いのじゃ」 「確かに遠うございますね。しかしながら、辞めたら終いです。命を取られ、道端で髑髏を晒し、お父上に恨み言一つ言えぬまま土に還らねばならぬのです。それで良うございますか、紘に会わずに良うございますか」 「紘に……会いたい。だが、こんな血まみれの私を、受け入れてくれようか」  面頬を外し、葛が幾分やつれた顔で微笑んだ。 「碤三は無事に京で治療を受けております。若のお口聞きのお蔭をもちまして、三条橋家お出入りの医者が請け負って下さり、命を取り止めることができました。ですから、私は亭主の意趣返しをたんとして、あの人の腕の中に帰りとうございます」  柔和な顔をして大胆なことを言う葛の真情に、宗冬も心を偽らずに頷き、応えた。 「私もだ……まだ、意趣は晴れてはおらぬようだな」 「晴れるものですか。亭主の片目を奪った奴らを、一人も生かしてはおきませぬ」  おおこわい、と無理に笑う宗冬の手を、葛が優しく包んだ。 「長野資清は、さんざんに遠山信方から人質を取り、卑怯な手を使って幼き命を奪ってきた唾棄すべき男です。変わり果てた姿で両親と対面せねばならなかった幼き姫の無念、晴らして差し上げましょう」  所詮戦であり人殺しである。そんな哀れな話とて、決して人を殺す正当な理由になどなるまい。正当性があると、必死に呑み込ませて自己防衛しているに過ぎぬのだ。  同じ虚しさを共有し、二人は冷めた湯漬けをただ眺めていた。  織田島軍の陣幕には、西道家の遺臣が参加していた。福島城総攻撃も終盤に差し掛かり、本丸に籠る木曽一族の自刃を待つのみとなっていた。  巨大な篝火と化している福島城を見上げる位置に敷かれた織田島軍の本陣、鎧に返り血を浴びた宗兵衛が陣幕に戻ると、のんびりと白湯を喫する学者然とした武将が座していた。 「これは、坂中様」  坂中半右衛門(さかなかはんえもん)、この時は既に四十に差し掛かっていたが、見た目は三十そこそこにしか見えず、戦場にあっても涼しげな出で立ちであった。  義廉が力を失った西道家は、息子の義龍の代になって内紛が絶えぬようになり、股肱の家臣の離反が相次いだところを宗近に付け込まれ、滅ぼされていた。だが、半右衛門のように義廉を慕っていた能臣は多く、文官型の家臣団形成を目論んでいた宗近は、積極的にこれらの能力を求めたのであった。 「日照り続きであった為、よう火が回っておるな」 「間も無く落城いたしましょう。半右衛門殿、織田島家中でのお働き、慣れましたか」 「ええ、まあ。貴方のような八面六臂とはいかぬが、何とかやれている」 「堅牢な山城である木曽福島城がこうもあっけなく落ちたのも、坂中様の火攻めの計略があってこそと存じます」  ふうっ、と大きく息を吐き、宗兵衛が兜を脱いで床几に腰を下ろした。 「塩尻を抜けるまでは残党狩りに終始することとなりましょう。主だった者たちは飯田の長野氏を目指している筈です。奥川殿はおそらく、牛の歩みで進まれましょう」 「宗兵衛は奥川将康を信用できぬか」 「できませんね」  足軽が持ってきた白湯を一気に飲み干し、宗兵衛が卓上の絵図面を指した。 「飯田から長野の分隊約五千が岩村に向かっております。さんざん木曽忍に引っかき回された奥川勢は、二千を外に出すが精一杯。岩村にてまずは長野とぶつかります」 「松尾と鈴岡の軍勢は、宗冬様以下多くて三千か」 「三千では飯田は落とせませぬ」  ううむ、と坂中が唸った。 「奥川方には確か石川一貴という軍師がいるようだが」 「既に阿木城を抑えております」  「では、某が参るか」  まるで物見遊山にでも行くかのように、半右衛門がのんびりと言った。 「お館様のお許しが出ませぬ」 「お許しになるよ。まぁ、自信はないけど」  どっちだよ、と相変わらす掴み所のない人物に、宗兵衛は下手な返答はすまじと口を閉じた。  果たして、坂中半右衛門は西道家旧領の山の民を足軽として引き連れ、一路飯田を目指して織田島軍から離れたのであった。
/77ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加