褒美

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 高田家を滅ぼし、新たに稲川、南條と同盟を結んで奥川を傘下におき、織田島宗近はとうとう上洛を果たした。足利将軍と誼を通じ、二年掛りで畿内の大名を調略と力とで抑え込む頃には宗冬の邸宅の普請も終わり、宗近上洛の足掛かりとして役目を果たし始めていた。  宗近は、主だった金山を手にしたことで有り余る金銭を公家衆にバラ撒き、その一方で京都所司代を設置して朝廷の動向に目を光らせることも忘れなかった。着々と京での影響力を強化するため、焼け野原だった京の復興と御所の修理にも金を惜しまず、それまで反抗的であった公家衆も徐々におもねり始めていた。  宗冬以下、主だった家中の者が寝泊まり出来る程に普請が大詰めを迎えた頃に、ふらりと宗近が半右衛門を伴ってやってきた。束帯姿の二人の背後には、仰々しいほどに美々しく鎧甲冑の支度を整えた近習の兵たちが付き従っていた。 「御所に挨拶に上がった帰りじゃ。苦しゅうない」  どうぞ、とも何も言わぬうちに、宗近はまだ内装が整っていない本殿にずかずかと上がり込んだ。 「あなたも、ですか」  さも当然とばかりに上がり込もうとする半右衛門に、宗冬が迷惑そうな声を出した。 「いけませんか」 「私はあなたをあまり歓迎しておりません。第一、あなたは幕府にも御所にも手を伸ばして何やら暗躍しておられるようですが、目的は何なのですか」  奥から顔を出した紘が、心配そうに宗冬の袖を引っ張った。 「そちらの女性は。そんな形で表に顔を出すなど、不躾ですね」 「妻の(ひろ)ですが、何か」 「おや、下女かと思いきや、奥方様ですか。これはこれは、大層自由なお育ちのご様子の可愛らしいお方で。織田島の家風に染まらぬ貴方には似合いだ」  フンと半右衛門が鼻を鳴らして通り過ぎて行くのを、宗冬は刀の柄に手をかけたまま歯を食いしばって見送った。その手に、紘がそっと水仕事で荒れた手を重ねた。 「私は構わないよ、あんな嫌味。しかし見た目は貴公子然としていても、肝のみみっちい男だよ。あなたの相手じゃないさ」 「紘……ありがとう」  紘の手を優しく握りしめ、宗冬は大きく息をついて頷いた。    客間となる奥殿の座敷に、宗近はどっかと腰を下ろしていた。まだ意匠も整っていない殺風景なままであるが、瀟洒な庭を眺めることができる。隣の三条橋邸の大きな桜の古木も塀越しに見ることができ、春になればその桜から舞い落ちる花弁で、目の前の小さな池が桜色に染まることであろう。 「良き庭じゃ」 「そうですかね。田舎臭いことこの上ないじゃありませんか」  半右衛門は嵌められたばかりの欄間を指でなぞって苦笑した。 「宗冬は、位階を得た上で御所との繋ぎ役をせよ。三条橋には話を通してある。半よ、下手な小細工は致すなよ。悪戯が過ぎれば、お前の仕事は全て宗兵衛に任せる」 「早く本能寺に戻りましょう。こんな所で貴方と過ごすのは御免です」 「聞いているのか」  痴話喧嘩のようなやり取りを繰り返していると、仏頂面をした宗冬が入ってきた。 「ご納得いただけたのなら、お引き取りください」 「そうしましょう。こんな所より本能寺の方がマシです」 「でしたら半右衛門殿だけどうぞ。五月蝿くてたまりませんね。貴方は本当に、将軍家を使って畿内の大名を調略で従えさせた軍師と同一人物ですか。大方、汗をかいたのは宗兵衛様あたりでしょう」 「たまたま戦でたまたま功を挙げただけの小僧が」  半右衛門が土気色の肌を紅潮させて腰の懐刀を抜いた。流石に宗冬も懐剣に手を置いた。 「よさぬか。半、先に戻っておれ」 「何でこんな人質の肩を持つんですか」 「儂を本気で怒らせたいか」  宗近の冷たい両眼に、半右衛門は切なげに眉を顰め、天を仰ぎつつ刀を収めた。そしてわざと宗冬の肩にぶつかるようにしながら、足早に出ていった。半右衛門が通り過ぎる時ふと、血の臭いを嗅いだような気がした。 「どうもここのところ、あやつはおかしい」 「あんな土気色した顔で凄まれて、不愉快ですよ」 「土気色……あやつの肌は本来白く薄桃に近い」  何かを達観するかのように、宗近が庭園の向こうを見つめた。 「宗冬、織田島は宗良に任せる。それで良いな」 「初めからそう申しております」 「紘と申したな。あの娘なれば良い子を沢山産むであろう」 「父上……」 「儂が生きておる間は、織田島の命脈のために働け。後はどう生きようと構わん。後悔だけは致すな、下らぬからな」 「下らぬって……」 「あ、堺にお前の知己がいると聞いた」 「喜井谷(きいだに)直獅郎(なおしろう)様のことですか」 「幕府がどうなろうと、御所が傾こうと、堺の人脈は手放してはならぬ。儂の隠し屋敷を町名主の今井曹休に任せてある故、何かあれば自由に使うが良い」 「はぁ……突然、私になぜそうまで」 「嫁取りの餞じゃ。気に入らぬなら売って銭にでも変えよ」  はぐらかすように鼻で笑い、さっと席を立って宗近は去っていった。見送る間も逸し、宗冬は暫し呆然と、今し方まで父が座していた場所を見つめていた。
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