遺児

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        遺児

 夜になっても、近江八幡の城下は活気に溢れていた。正重の一振りが無くなったことで腰が軽くなったのは良いが、どうにも落ち着かない。訪ね歩いて街の者に教えてもらった研ぎ師の家で、宗冬の目にも見事な刀を購った。和泉守兼定の一振りである。 「研ぎに預かっていたが、預け主は五年も取りに来ぬ。しかしおまえさんは刀架にある何十もの刀の中から迷いもなくこいつを見つけなすった。持っていけ」 「有難うございます。今まで腰に落としていた千子正重との縁を感じます」 「ほう、正重を使っていたか。確かに、二代目ノ定は村正とも交流があったと聞く。村正の門人といえば千子正重。そうかい、それはよくよく縁をお持ちだ」  ノ定と呼ばれる二代目和泉守兼定作は二尺ほどで、腰に落とし込んで見ると、宗冬の体格にもよく馴染んだ。腰を沈めて居抜きに抜ききると、波紋が光線となって明かりに反射した。その美しさに、宗冬はたちまち魅了された。  更に古着商に寄り、葛が好みそうな柄の小袖と綿入れを贖い、干し肉やら山菜やらもどっさりと買い込んで蒼星(そうせい)の背に積んだ。 「少し買いすぎたかのう」  蒼星が呆れたように鼻を鳴らすが、巨体だけに、荷に加えて宗冬が跨ったところで、足が鈍ることはなかった。  幸い、新たに雪が積もった様子はなく、荷車の轍を辿るようにしながら難なく岐阜までたどり着いた。晴天が続いたこともあり、城下には雪も残っていなかった。  しかし異様に静まり返っている。とうに夜は明けており、朝市で賑わう通りでは炊きの煙が立ち上っていてもおかしくない時分である。  蒼星がふと歩みを止めた。その勘に従うように蒼星を辻裏に誘い、宗冬は降り立ってそっと辺りを伺った。すると城の方角から西へと向かう軍列の姿が飛び込んできた。  建物の陰から注意深く陣容を観察していると、背後に人の気配を感じた。刀を抜きざまに振り向くと、近江八幡で別れた筈の三河武士三人衆が身を屈めていた。静かに、と唇に指を立てた酒匂清重(さこうきよしげ)が、無言のまま列を見ろと目線を動かした。  清重が目を向けた方向を見て、思わず宗冬は声を上げそうになった。軍の旗印は瓢箪、間違いなく豊海の軍勢である。指揮をする武将はまだ若いが、兵の統制の取れた動きを見る限り、軍略に長けた有能な武将であろうことは容易に察することができる。 「岩佐龍成(いわさたつなり)。近江の寺小姓上がりで、秀敏の秘蔵っ子です。あの岩佐と福島正敏(ふくしままさとし)加藤清隆(かとうきよたか)といった豊海家の若手武将は、子供のいない秀敏の正室・寧子様が幼い頃から手元で養育された、言わば子飼中の子飼。忠誠心厚く、秀嗣より遥かに出来が良い」  清重の解説を聞きながら注意深く軍列を見送っていると、やがて粗末な唐丸駕籠が見えてきた。中に乗っている人物を見て、宗冬は息を呑んだ。 「秀嗣殿」  白の帷子姿で後ろ手に縛られ、罪人の如く駕籠に乗せられているのは、紛れもなく秀嗣であった。憔悴しきった表情に最早生への執着はなく、焦点の合わぬ目で己の行き先をただ見つめているだけである。 「奥羽への出征を拒み、叔父の秀貞の元に転がり込んでいるところを秀敏に知られ、軍律違反で連行されるのだそうだ」 「奴らは透波を使うからな。葛さんならおそらく知っているでしょう、忍崩れの野盗上がりで、金次第でどこにでも忍び込むんですよ。蛭みたいな連中です」  勝重と政虎の説明を聞きながら、宗冬の手は既に刀の柄に置かれていた。  唐丸駕籠に続き、馬が二頭、それぞれ豪華な衣装に身を包んだ女を乗せていた。しかしながら彼女達も後ろ手に縛られており、年嵩のふくよかな女の方は身も世もなく泣き喚いていた。 「秀嗣に付き従っていた側室達でしょう。豊海家への服従と媚びへつらいの証として、秀嗣に差し出された姫達ですよ」 「あの、凛と顔を上げて堂々としておられる姫は。まだ15にも満たぬようだが」 「多分、最上の姫、鞠姫でしょうね」  その名を聞いた途端、宗冬は刀を抜いて飛び出していた。  路地から飛び出すなり、宗冬は馬上に飛び上がって鞠姫の縄を断ち、抱きかかえて反対側の路地へと転がった。  小柄な鞠姫をしっかり抱えたまま身を反転させると素早く起き上がり、奥へ奥へと走り抜けていった。 「ちょっと、ええっ、まずいって」  狼狽えたのは政虎達である。瞬時に居なくなった姫の周りだけが為す術もなく立ち竦んでいるが、列の先頭は気がつく様子もなく進み続けている。すると、無人になった馬も大人しく列後をついて歩み出し、周りの兵達も何もなかったように歩き出した。 「な、なんだありゃ」  勝重が間抜けな声をあげるのも無理からぬことだが、列は粛々と進んでいった。 「勝重、政虎、行くぞ」  列の最後尾が通り過ぎるのを待ち、3人は宗冬が走り抜けていった路地へと駆け出した。 「おいっ」  すると三人を追い越すようにして蒼星が宗冬の後を追うように駆け出していった。 「あいつを見失うな」  途中、伝馬宿につないであった3頭の馬に飛び乗り、3人は蒼星を追いかけた。  蒼星は城下外れの神社の境内に駆け込み、斜面を一気に駆け上った。社の本殿の前で、息を整える宗冬に漸く追いつき、安心したかのように鼻を鳴らした。 「すまんな蒼星、よくついてきてくれた」  宗冬は、腕の中で何が起きたのかまだよく分かっていない(まり)姫を本殿前に下ろした。 「あなたを助けるだけで精一杯でした。もう一人の姫は、お気の毒ですが……」 「何故、私を」  発せられた声は、まだ幼く、まるで子供であった。怖がらせぬように、宗冬はゆっくりと自分の名を名乗り、岐阜の城で葛が手当てを受けた礼を述べた。 「背中の傷は、あなた様のお手当てのお陰で膿むこともなく、治癒に向かっております」 「それはようございました。私ね、あのような美しい方、最上でも京でもお目にかかったことがございません。お身体をお拭きするまで、女の方だとばかり思っていたほどです」  この状況が分かっているのか、余程度胸が据わっているのか、鞠姫は屈託無く笑った。 「葛の命をお助けいただき、心から御礼申し上げます」 「あの方は、あなた様の大切なお方なのですね」 「ええ、大切な姉です」  ふと首を傾げて考え込む仕草も、頑是ない少女のようで愛らしい。このような愛らしい姫を秀嗣の大勢いる側室の一人として差し出さねばならない最上家は、断腸の思いであっただろうと、宗冬はその苦衷を思った。 「その姉君は、どうしておられますか」 「夫の元で、無事に静養しております」 「ようございました。あなた様も、あの美しい方の弟君と仰るだけに、とてもお美しい。あ、殿方には失礼なのかしら。でも、とても凛々しくお美しい。あの秀嗣などには微塵もない、気品と心映えをお持ちにございます」  まるで人生の後半に差し掛かった者のように、鞠姫が真摯な表情でそう言い切った。 「子供がこんなことを、と驚いていらっしゃるかしら」 「いえ、そんな……」 「こう見えて、私もう30になります」  ええっ、と宗冬が仰け反る勢いで素っ頓狂な声を上げると、鞠姫はケラケラと笑った。 「嘘です、12です。でも……先年漸く弟が生まれるまでは私が唯一の後継でしたので、政を担うべく文武共に精進してまいりました。豊海につくか奥羽の覇者となるか、割れる家中の駆け引きに身を細らせる日々もございました」 「そうでしたか。色々ご経験されておられるのですね」  そうこうするうちに、三河の三人が口々に文句を言いながら合流をした。 「宗冬殿、一体どうされたんです、腰を抜かしましたよ」  真っ先に馬から降りて駆け寄った政虎が、どうも、と鞠姫に頭を下げた。 「囚われていた葛を、手厚く看護してくださった鞠姫様です。この方のお陰で、葛は無事に戻ることができました」 「それでこの方を。ていうか、どうするつもりなんですか」 「そのことなのですが……」  と宗冬は上目遣いに三人を見た。葛ほどではないが、中々に殺傷力のある表情に、あっ、と三人が同時に顔に手を当てて視線から逃れた。 「ダメですよ、ダメですって。そんな可愛い顔してお強請(ねだ)りしても無理ですから」 「政虎殿、私はまだ何も……」 「鞠姫を最上まで届けて欲しいと言いたいのだろうが」  思わず結論を口にした勝重に、清重と政虎が同時に頭を叩いた。 「いえ、江戸までで良いのです。江戸で春を待たれ、最上家からのお迎えを待たれれば良いのです。将康様の羽の下にさえいれば、何人たりとも手出しはできませぬ」 「それはいかかでしょうか」  三河の三人とは別の、記憶に新しい声に、宗冬は咄嗟に鞠姫を背中に庇い刀の柄に手をかけた。  悠々と斜面を上がってきたのは、岐阜の城代・秀貞であった。背後には銃を構えた兵を30ほど従えていた。 「何という真似をなさいましたか」 「鞠姫様は葛の恩人、しかも一国の姫であり縄目の恥辱を受ける謂れはござらぬ」  三河衆はそっと馬の轡を引き寄せながら、宗冬と秀貞のやり取りを聞いている。 「兄秀敏に男児が誕生し、無事に百日を超えたようです。元々、ここのところの甥の行いを苦々しく思っていた兄です、ここぞとばかりに甥から全ての権限を取り上げるでしょう」 「ならば何故、姫達まで」 「女達の腹に子があれば何とします。将来、兄の子に報復せぬとも限らぬ。負けた大名の妻子が悉く討ち取られるは戦国の習い。ご存知でしょう」 「この方はまだ、清いままです」  鞠姫が驚いた様子で宗冬の背を見上げた。 「側室として側に置かれている以上、関係ない。兄の甥への怒りは凄まじく、生まれた子への愛着も凄まじい。そこのお三方は少なくとも、兄の怖さをご存知の筈だ」  宗冬は背後の鞠姫の体をくるりと反転させるなり、背中に流れる黒髪を元結ごと断ち切った。更に打掛を剥がし、落とした一房の黒髪と共に秀貞の足元へと投げつけた。 「行かれよ! 」  その言葉に弾かれたように、体の大きな勝重が鞠姫を担ぎ、先に馬に乗った清重が鞠姫を馬へと引き上げた。そして政虎を殿にして、瞬く間に本殿の奥に続く山道へと逃れていった。  鉄砲隊が膝をついて射撃の体勢を取るより早く、蒼星が暴れて鉄砲隊を蹴散らした。 「秀貞殿、鞠姫は強盗に殺された。そう申し開きをされよ」  すると然程の執着を見せる様子はなく、秀貞はくくっと含み笑いを返した。 「敵いませぬな。良いでしょう。私も死を目の前にして頑是ない姫を連座の憂き目に合わせるなど、末期が悪いと気が塞いでいたところです」 「では、軍列が私達を追いかけてこなかったのは……」 「何が起きても構わずにひたすら京を目指せと龍成には厳命いたしました。何せ京に戻れば大名達への見せしめに、秀嗣は死罪、妻妾も同様です」 「酷すぎる……」 「宗近様も酷いお人だったが、まだやり方に美学と哲学がおありでした。兄は違う。兄を動かしているのは、欲。ひたすらに、欲のみなのです」  秀貞はゆったりとした動作で鞠姫の髪と打掛とを拾い上げた。 「宗冬殿、あなたはまた修羅の日々を送ることとなりましょう」 「愛しい者の為とあらば、是非に及ばず」  秀貞の厚意に深く礼を尽くし、宗冬は蒼星に跨った。巨馬に蹴散らされた兵は恐怖に慄き、蜘蛛の子を散らすように道を開けた。 「是非に及ばず、とは。やはり上様のお子じゃ」  晴天にも関わらず、ひらひらと雪が舞い降りた。   
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