爆ぜる心

1/1
前へ
/77ページ
次へ

       爆ぜる心

 その後ろ姿を見送った忍も刀を収め、覆面を取った。長身痩躯の若者の体つきながら、その顔は並の女より美しい。しかし、その表情は固く、約4年ぶりの再会を喜ぶような感情は見当たらなかった。 「ようここが分かったな、葛」 「危のうございましたぞ」  男声でそう静かに叱り、葛は河原に散らばったままの着物を拾い上げた。 「月のものでございますか、若」  濡れた髪をかきあげた人物は、確かに童女のような頑是なさを残してはいるが、体つきは確かに少年期のそれである。線は細いが、しっかりと鍛えられている上半身は、しかしながら血の気が失せたかのように青白い。13歳になった織田島澪丸改め宗冬である。 「困ったものだ。おまえが私の前から姿を消してしまっていた間に奥川家に人質に入り、気がつけばこんな体になった。誰にも言えず、いつも此処にきて数日を明かしていたが……葛は知っておったのだな」  会うなり叱られ、宗冬は顔を背けたまま、言葉にいくつもの棘を含ませた。そして葛の手元から着物を引っ手繰ると、木々の根が剥き出しになっている斜面を駆け上がった。  やがて、宗冬は滝壺を見下ろすことのできる杣小屋に入った。後に尾いて用心深く小屋に足を踏み入れた葛は、震える宗冬の姿を見て手早く火を起こし、宗冬の体の水滴を自分の羽織を脱いで拭い、大きな岩の上に座らせた。  山の中の岩場に、木でできた屋根を覆い被せただけの粗末な建物には、小石を組んで作られた簡易な炉の跡があった。自然のままの岩が椅子代わりになり、杣人が束の間体を休めて暖をとるには十分であった。 「いつもこうしてお過ごしに」  まるで条件反射のように世話を焼きだした葛に、宗冬は目を合わせぬまでも、少しばかり緊張を解いてぽつりぽつりと答えた。 「ああ、話に聞いている女人のそれとは違うのか、二日もやり過ごせば終わってしまう。故にここの持ち主が、月に二日三日なら構わぬから、自由に使えと」  聞かれたことに無愛想に答えるその声は最早、小さな少年期のものではない。とはいえ、少し低音な女の声とも、華奢な男の声ともつかぬ不安定な細さを含む声である。 「供連れもなく現れた若君のお申し出、さぞ驚かれたことでしょう、その杣人は」 「関心はなさそうじゃ。それがまた、私には都合が良い」 「左様でございますか」 「殺すなどと、物騒なことを考えるなよ。恩人なのだから」  不機嫌そうに呟く宗冬に何も答えず、葛は小枝を焼べた。  火に手を差し出す宗冬に、別れた頃の幼さはもうない。あの眩しいほどの無邪気さも、可愛らしさも、すっかり失われてしまっている。目の奥には昏さがあり、十三という年齢以上に大人びて見せている。老成しているといっても良い。美しく成長したその姿に、華やかな輝きは見出すことができなかった。 「おまえも、私のことなどとうに関心がなかろう」  杣小屋に着いてから一度も葛の顔を見ようとはせぬまま、まるで火に問いかけるように宗冬が呟いた。 「本気でそう思われますか」 「私に構っても日の目を見られそうにない故、適当な下忍に監視を任せていたのであろう」 「……随分と、卑屈になられたものだ」  溜息と共に立ち上がった葛の足元に、宗冬が棒切れを叩きつけた。先端に火がついていたそれは砕け、火の粉が舞い上がり、悲しげに睫毛を伏せる葛の横顔を照らした。 「おまえは私を見捨てたではないか」 「若」 「あれから私は一人で……一人きりで……元服の儀も初陣も一人で……何故私を一人にした! 私の身の上に起こっていることを知りながら、何故、何故」  顔をくしゃくしゃに歪めて泣き喚く宗冬を、葛は抱きしめた。その胸に、何度も何度も拳を受けながら、葛は黙って宗冬の叫びを受け止めていた。 「私は、どう生きたら良いのだ……」  ずるりと、腕の中から崩れ落ちた宗冬に覆いかぶさるように、葛は宗冬の髪を掴んで顔を上げその唇を吸った。驚いたように喉の奥を鳴らした宗冬は、渾身の力で葛を突き飛ばした。 「な、何をする」 「どう生きたら良いのかと仰せでしたから、このような生き方など宜しかろうと」 「どういう意味だ」 「いっそのこと、女となってしまわれたら良い。女ならば、家を背負って人質となることも、跡目争いに巻き込まれることもない。誰ぞに嫁ぎ、子でも産み育てればよい。あなたはどちらも選ぶことができる。めそめそと泣くのであれば、遠慮のう女の道を行けば良い。 但し、楽ではござらぬ。戦さ場を駆けずとも良いというだけで、その実、毎日が命がけでござる……芙由子様の御無念、よもやお忘れではあるまい」  宗冬の頤にかけた葛の指を掴み、宗冬は吠えた。 「おまえなど嫌いだ、大嫌いだ! 」  葛を肩で突き飛ばすようにして、宗冬は出て行った。滝壺に降りて愛馬の蒼風に跨って急き立てる声を聞きながら、葛は力なく岩場に腰を落とした。  あの多治見城戦で一瞬でも手を離してしまった時の事が、胃の腑をえぐるような後悔の念と共に思い起こされた。  この数年、思い出しては身を捩るばかりの、不毛な後悔を繰り返し続けてきたのだった。
/77ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加