ヤキモチ妬きな女神様。

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胡桃 2  新学期の教室で光流の姿を見つけた時に足が止まってしまったのは、彼が一段と細くなってしまっていたから。  何かがあったのは兄から聞いていたせいで驚いた顔を見せてなかったとは思うけれど、あまりにも儚い様子に声をかけるのを躊躇ってしまう。 「辻崎君、おはよう」  それでも4月からの自分の行動を思い出して声をかけてみる。その時には光流に気持ちを向ける兄の態度にヤキモチを妬いたことなんてすっかり忘れていた。  自分と同じΩだから、なんて気持ちではなくて、仲良くなりたいと思っていた同級生が何か困っているのなら力になりたい、そんなふうに強く思ったのは中途半端な仲間意識なんかじゃない。 「おはよう」  そう答えた声は力が無く、浮かんだ笑顔は【笑顔】と言うには淋しすぎるものだった。  あまり急に馴れ馴れしくしてもいけない、あまり急に距離を詰めようとしてもいけない。そんな事を自分に言い聞かせ、光流の様子を気にしながら過ごす日々はもどかしくて。本当は「何かあった?」「私でよかったら話してみる?」と言いたくて仕方がなかったのに、そんな簡単なことができないことがもどかしい。  簡単に「仲良くしたいの」と言えたらどれだけ楽だろうと何度も考えたけれど、光流の雰囲気がそれを許してくれなかった。  挨拶には挨拶を返してくれるし、機会があって話しかければ言葉は返してくれる。だけどそれだけ。  言葉が返ってきても話を広げる気はないようで、二言三言言葉を交わせば終わってしまう会話。  季節が移り変わり、気温が下がっていくのに比例するように悪くなる顔色と細くなっていく身体。きっと婚約者のことが諦めきれないのだろう。  それにしても婚約者はともかく、番犬は2人いたのに光流の兄は何をやっているのかと腹立たしく思ってしまう。  だけど、番犬のように寄り添っていた兄が今の光流を見て何も思わないはずがない。と言うことは、何も打つ手が無いのか、それとも変化が訪れる事を待っているのか。  もしも私が光流の立場だったら兄は黙っていないだろう。αだとかΩだとか、そんなことは関係なく私を守ろうとしてくれるはずだ。そう考えれば光流の兄だって何もしていないはずはない。  もしも何か思惑があるのなら。  そう思うとますます動けなくなるのだけれど、それでも朝の挨拶だけは欠かさないように、少しでも心を開いてもらえるように自分なりに気を遣ったつもりだった。 「兄さん、何があったの?  学校に来ないんだけど、なにか知ってる?私、どうしたらいい?」  そんなふうに電話をしてしまったのは新学期が始まってすぐのこと。  冬休みが終わっても登校しない光流のことは担任から体調不良と聞かされていた。ただ、欠席が長引けば何かがあったのだろうと勘繰ってしまう。  もしも冬休み明けにヒートが重なったとしても長すぎる休みと、冬休み前の儚い光流を思いして最悪のことまで考えてしまったのも仕方のないことだろう。  光流と婚約者が上手くいっていない事を知っているのは私だけじゃない。私は兄から聞いて知っていたけれど、光流と同じようにパートナーを伴って色々なところに顔を出していた子達は私以上に事情に気づいていたとしても不思議じゃない。だけど、あからさまにそんな事を噂するような子はいないし、光流の様子を見てしまえばそんな事を口にして余計に傷つけるようなことは誰しないはずだ。  だって、番犬に守られていた光流は傷付けられるような悪意を持たれるほど周りの人間と関わってなんていなかったのだから。  だからこそ関わりたいと、仲良くなりたいと思ったんだ。 『知ってるって言うか、婚約が解消になったっていうのは聞いてる』  その言葉に「解消?」と思わず聞き返してしまう。前に兄と話していた時は解消ではなくて破棄になるのではと言っていたはずだ。 『そう、解消。  それは間違い無いんだけど、それ以上はまだ話せることがないんだよね。  何かわかったらちゃんと教えるから、もう少し待って』  そんなふうに言われてしまえば「分かった」と答えるしかない。  登校しない光流と何も教えてくれない兄。そして伝えられる〈sleeping beauty project〉という恥ずかしい名前の研究。  その話を聞かされた時、教室が騒ついたのはそこに光流が関わっていると言われたから。 「本来なら辻崎君の許可を取って話すべきことですが、辻崎君が過ごしやすいようにという配慮もあって復学を待たずにお知らせすることになりました」  そんな言葉で始まった説明は光流のヒートの話で、そんなプライベートな事を公にしていいかと不安になってしまう。同じΩとして複雑な心境でもあった。  ただ、今までだって本人は隠していなかったし、本人が認めていても誤解されてしまう事例があったため公にしてほしいと家族が望んだことだという前置きの元詳しい説明がなされる。  光流のヒートが希少なもので、三大欲求の内の睡眠欲が高まること。  一般的なヒートとは異なるものの、今までも多かれ少なかれ睡眠欲が高まる事例はあったこと。  それを踏まえてΩ本人だけでなく、自分の家族やパートナーでもそんな事例があれば協力して欲しいということ。 「あ、あと三大欲求の食欲が高まる事例があればそれも研究対象となるそうです」  そう言って配られた書類を見て揶揄する生徒がいないのはこの学校にαやΩが多いからで、αやΩと接することが多いため他人事ではないのかもしれない。 「辻崎君、おはよう。  体調はもう大丈夫?」  久しぶりに登校した光流に話しかけたのは兄の言葉が気になっていたこともあるけれど、やっぱり仲良くなりたいという気持ちが強かったから。  というよりも【仲良くなる】という確固たる意志を持ってのこと。  光流が婚約を解消したのは〈sleeping beauty project〉が公になったのと同じ頃だったと聞いたのは兄からだった。  兄の持ってきてくれたケーキを食べながら婚約破棄だったのではないかと聞いた私に「本人はそうしたかったみたいだけど、家族がそれを許さなかったみたい」と教えられる。  婚約破棄よりも婚約解消の方が甘い措置ではないかと思ったけれど、「そんなに甘いもんじゃないみたいだよ」と苦笑いを浮かべ、「やっぱり、あの兄とは仲良くしておいた方が良さそうだって、改めて実感させられた」と言ったけれど、多くは話してくれなかった。  きっと兄が話さないという事は私が知る必要がない事、もしくは知るのなら光流本人との関わりの中で知るべき事なのだろう。 「私が辻崎君に話しかける時に気をつけた方がいいことがある?」 「どうだろう。  でも、普通が1番だと思うよ。  今までと変わらないスタンスで。  仲良くなれそう?」 「仲良くなるつもりよ」  そんな会話を思い出し、今までと変わらないトーンで挨拶をしてみる。   「おはよう。  ありがとう、もう大丈夫」  そう答えた光流は笑顔で、今までの当たり障りのない返事とは何かが違うとすぐに気付く。 「そう、なら良かった。  あ、これ。  良かったら休んでいた間のノート、それぞれ得意な教科をまとめたから少しは役に立てると思う」  光流のために何かをしたいと思っていたのは私だけじゃないけれど、今まで遠巻きにしていた子も多いため託されたノート。 「え、ありがとう。  これって、」  そう言いながらノートを確認して「すごく、嬉しい」とまた笑顔を見せる。  腫れ物を触るように接することになるのだろうと思っていたのに、その笑顔に驚かされる。 「私は英語まとめただけだから、他のノートまとめた子達は放課後に紹介してもいい?  そうしたら分からないところ、質問できるしね」  そうして始まった私たちの交流。  番犬2人と一緒に頃のあの笑顔を引き出すことはなかなかできなかったけれど、少しずつ笑顔が増えていく中で「胡桃さんって、誰かと似てるんだよね」と言われたから兄のことを話してみる。 「それ、兄じゃないかしら?」 「お兄さんって?」 「辻崎君と話したことあるって言ってたし」 「もしかして、お兄さんってΩ?」 「そう。  会ってみる?」  そして繋がった光流と兄、楓。  結局、私は光流に頼られる存在にはなることはできなかったけど、それでも一緒に悩んだり、考えたりする友人にはなれたと思ってる。  もちろん、私の悩みを聞いてもらうこともあったし、進路に迷った時には2人で一緒に頭を悩ませた。  そんな私たちの側には兄がいて、静流さんがいて。途中からは賢志君も加わって、光流も少しずつ変わっていった。  残念なことに私は結婚して海外に行くことになったものの、直接会えなくても光流との交流は続いているし、この交流を無くす気はない。
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