電波塔の国

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 老人は再び俯くと数回咳き込んだ。そして遥か東の方角を指差しながら告げる。 「さて旅人よ、もうすぐ監視員が来る頃だ。すぐにここから逃げなさい。」 「監視員?」 「塔の奴らだ。…あぁ、来てしまったか…。」  老人がため息をついた時、僕は背後に気配を感じ振り返った。 跪く人々の奥に立っている二人の人間がいた。警察のような服装、手には棒のようなものを持っている。 嫌な予感がした。一目で敵と分かるような格好、雰囲気だった。僕は狼狽えながら老人と彼らを交互に見た。 すると老人は前方で跪く人々の列を指差した。 「しばらくの間、皆と同じように跪け。そうすれば気づかれん。」  僕は言われるがままに人々の列へ加わった。そしてその場に膝をつき、これでもかという程大きくひれ伏した。 そして無事に気づかれませんようにと願った。少々息苦しかったが構わない。とにかく、あの固そうな棒で殴られるのだけは御免だった。 遠方から聞こえる足音が徐々に大きくなり、遂に僕の後方までやってきた。  無音だった。何も聞こえない。聞こえるのは吹き抜ける風の音のみ。彼らは僕の背後で足を止めていた。 見つかってしまったか?そう思い瞳を固く閉じ、ただただ耐え忍んだ。  どれくらいそうしていただろうか。殴られるような感触や痛みもなく、僕はじっと跪いていた。 不意に後方から再び足音が聞こえ始め、それは西の方角へ去っていった。顔を傾ければ、遠くへ去っていく監視員の後ろ姿が見えた。 彼らは何か大きな包みを担ぎながら、片手に持った棒を子供のように振り回していた。 助かった、そう思い体を起こす。そして老人へ礼を言うために振り返った。  老人はいなかった。あるのは丁寧に折り畳まれたボロ切れだけだった。 老人がいたという形跡すらも残されてはいなかった。存在そのものが消え去っていた。 それが何を意味するのかもわからないまま、僕はしばらくの間そのボロ切れを眺めていた。  突如、言い知れぬ怒りと悲しみが込み上げた。 誰に対してでもない。しかし強いて言うのならば神だろうか。 何故、こんなにもイカれた街を放っておくのだ。もしこの世界を作ったのが神ならば、僕は文句を言いたくて仕方なかった。 この世界を作ったのならば、何故こんなにも不条理の絶えぬ世界を放っておくのだ。何故、弱き者に手を差し伸べぬのだ。  怒りと悲しみ、それから大きな冒険心を胸に僕は空を見上げた。 電波塔(バベル)が見える。人間たちが作り上げた神への挑戦状だ。 あの塔のてっぺんに行けばきっと、神に近づけるだろうか…。  僕は先ほどまで確かに老人がいたボロ切れへ向かって手を合わせた。  そして遥か東に見える塔を目指し駆け出した。跪く民衆には目もくれず、僕は一目散に走り続けた。  旅に出よう。この世界を巡る旅に出よう。数多の国を巡り、終末へと向かって行こう。  そしてこの旅の果てに神を見つけたその時には、奴に文句を言ってやる。
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