人間の国

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 仕事場は熱気に満ちていた。決してやる気や熱意の言い換えなどではない、本当に暑いのだ。 僕の仕事は簡単に言えば食事の後片付けである。次から次へ流されてくる残飯を片付け、食器を次から次へと洗ってゆくのだ。 ある者はこの職業を底辺の仕事だと馬鹿にし、ある者は縁の下の力持ちと褒め称えていた。それが誰だったかはとっくの昔に忘れてしまったが。  さて、僕は自身のポジションにつくと早速目の前に置かれた誰かの残飯を掴み取った。 そしてそれをバケツに放り入れると、次の残飯を同じようにバケツに放り入れた。そうして同じような作業を淡々と繰り返すのが僕の仕事であった。 上司の冷たい視線が隔てられたガラス越しに突き刺さる。向こうの職場はかなり衛生的で気楽そうだ。彼らは僕より目上のいわゆる“正社員”という者たちだった。 彼らの踏み台である僕らは彼らのために働くのだ。残飯の嫌な臭いが鼻を突き、謎の液体が服に染み付いても尚、僕は目の前にある食べ物という名の廃棄物をバケツにはたき落とした。 中には新品同様に綺麗な食材もあった。手をつけられていないステーキにスクランブルエッグ。未開封の牛乳パック。彼らは誰の栄養になることもなく汚物と共に流されてゆくのだろうか。 僕は何だか胸が痛くなった気がして、その場に蹲った。ガラス越しに誰かの罵声が聞こえる。 「何をサボっているんだ?早く作業したまえ、まだまだ先は長いんだぞ。」  上司たちは皿に盛り付けられた肉の塊を食べながら僕を嘲笑った。あの塊は恐らく予備のものだろう。作りすぎて余ってしまった肉なのだろう。 不意に彼らは窓ガラスを開けると、僕の方へその肉の塊を投げつけた。塊は床にべチャリと落ち、ソースが血のように飛び散った。 あぁ、なんて勿体無い…。僕はこの肉の生前の姿を連想してしまい、悲しみと憎悪に心臓が握りつぶされそうになってしまった。 「おい、何をしている。早くそれを拾え。食っても構わんぞ。」  下品な笑い声がガラス越しに聞こえる。まるで動物園の檻に閉じ込められた猛獣のような気分だった。 僕は何も言い返さず、床に散らばった肉の塊を淡々と拾い集めた。そしてバケツに入れると、いつものように同じ作業を繰り返すのだ。  こうして僕の人生は成り立っていた。何人もの嫌な視線に見守られながら、僕は仕事をこなしてゆくのだ。  人間の国の成り行きである。きっと世界には僕のような人間が何万人もいるのだろう。或いは、僕しかいないのかもしれないが…。 6e20c6f5-351e-49eb-b262-6ca60323933c
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