プロローグ

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 そう、「マンボウさん」ーーさっきのスタッフさんによると本名「下田さん」と私「ナツ」は、婚活アプリ「Hera(ヘラ)」で知り合った。結婚の女神ヘラの名を戴くこのアプリ、要するに条件があう男女にお互いコンタクトを取らせてカップルにするマッチングアプリだ。今年元日、親友の杉山凛(すぎやまりん)になかば押し切られて二人同時に始めることになった婚活は、最初の数ヶ月の盛り上がりから紆余曲折を経て、真夏の今となってはかなりやる気も下火になり、マッチングアプリでの新人探しだけに落ち着いていた。  まあ、下火になったのは私だけで、凛のほうはそこそこ順調らしいんだけれど、私は二十五歳の誕生日になったら、いったん婚活をおしまいにしてしばらく離れようと思い始めている。そして今日は、その誕生日までの間にマッチした相手との最後のアポなのだ。  そんなことを思いながら、「Hera」での「マンボウさん」のプロフィールを改めて読み込んでいく。もう何度も確認したけど、アポイントで相手に興味があると印象付けたり、ある程度踏み込んだ質問をしたりするためには、復習が欠かせないのだ。  マンボウさん、27歳・静岡県。職業:会社員(技術)、身長:182センチ、体型:痩せ型。  気になるのは「年収」の項目で、「600〜800万円」らしい。正直私からこの人にいいねボタンを押したのはこれが結構な理由でもあるのだけど、技術職でそんなに収入が高いのはなにか事情がありそうで不安ではあった。ここはやんわり聞いてみたいところだな、と心の中でチェックをつける。  自己アピール文は、「オタクのエンジニアです。ちょっと変わった職場にいます。インドア派で、趣味は映画と本、プラモ作り。最近戦艦大和が完成しました。ひとり遊びが得意すぎて心配になってきたので、一緒につきあってくれるやさしいかた募集してます」と、ずいぶん押しの弱いのんびりした内容だ。プロフィール画像はかなり遠目の集合写真で、誰かの結婚披露宴や同窓会かなにかで撮ったと思しき荒い写真のトリミング。スーツ姿の腰から上、痩せた感じのめがねをかけた男性だな、ということがわかる程度だ。メッセージの印象も柔和な感じだったし、まあ絶世の美男子ではないにしても、そんなに変な人は来ないはず、だと思いたい。 「遅いな……、迷っちゃったのかな」  気づけばもう予定の時間を十五分過ぎている。なにか連絡したほうがいいかな、と顔を上げて窓の外に目をやると、真っ白なエントランスにバタバタと走り込んでくる丈高い人影がある。もしや、あの姿と慌てぶりは……。  写真で見るより数段痩せ型で色白の「マンボウさん」は、半袖のワイシャツとコットンパンツで包んだ長い手脚を持て余したかのようなぎこちない走りで大理石の階段を駆けてくる。私と目があった瞬間、彼は片手をあげて嬉しそうに振りながら、ガラス越しにも聞こえる声で、 「ナツさーーん! お待たせしましたーー!、っうわ、わああ」  と悲鳴をあげて階段を転がり落ちていった。  私は今日のアポ開始五秒で結果を察し、婚活はしばらく休んで仕事に専念しよう、と早くも決意しながら、ハァー、と大きく息をついてうなだれた。
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