灼熱の因縁

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灼熱の因縁

「涼」 スパイクの爪先に落としていた視線を、持ち上げる。あまりの眩しさに、きつく目を閉じた。 「いけるか」 ゆっくり瞼を上げてみるものの、監督の表情を捉えるのにやぶにらみをするしかなかった。 「...はい」 我ながら、返事は落ち着いていた。立ち上がって、バットを手に取る。 「思い切って行ってこい」 ヘルメットのつばを下げて、了承の意を示す。誰かの、「頼んだぞ、涼」の声が泣いているように聞こえた。 緊張などしない。するわけがない。5回の攻防、10点差、コールド負け前の代打。背番号20、ベンチ入りできる選手の中でいちばん大きな数字、1年生。まばらにいる群衆は、来年の経験と思うだろう。選手への温情と思うだろう。 言い聞かせながら、1歩、グラウンドに出る。試合前練習以来の、グラウンドだ。雰囲気が全く違う。 じりじりと肌を焼くのは、試合が進む内に上がってきた日の光だ。襲ってくる熱気も、舞う砂利に混じる緊張感も、比べものにならない。攻撃に合わせてなされる保護者のコールも、諦めと義務感が滲んでいる。 とんでもないところに来てしまった! ひとりでくらくらしていると、本当に足下が揺れた。歓声による地響きだと理解するには、時間がかかった。打席を終えた選手が、こちらに戻ってくる。俯く先輩の姿から目を逸らして、視線を上げた。相手のスタンドには、応援団がいた。控えの部員らしき一団と、制服姿の生徒達。こちらの3倍は人が居そうだ。あれだけの人数がアウトコールの度に盛り上がるのだから、たまらない。 無理もないよな。だってあそこ、名門だし。 プロ野球選手を何人も輩出しているような学校だ。夏の1勝とか甲子園出場を目標にしているチームではない。甲子園に行くのが当たり前で、そこで勝ち抜くことを目標にしているチームだ。 「涼」 「はいっ!」 三振をして帰ってきた先輩が、ベンチに入る前に肩を叩いてきた。顔も目も、心なしか赤いように見える。それでも表情に迷いはなくて、まっすぐに射貫かれると逃げられなくなった。 頼んだぞなんて言われなくても、困りますよ。 「やべえよ、あいつ」 「え?」 先輩が顎で指したのは、マウンドの投手だ。ロジンを弄っている。 「あれで1年だってよ。涼と同じ年だ」 「...はあ」 そうは言っても、1年生で名門校のベンチ入りを果たす投手だ。モノが違う。 「同い年なんだよ。自分のスイングしてこい」 先輩の、目と唇が震えた。慌てて目を逸らす。 「...はい」 打席に向かう足取りは、少々ふわふわしていた。緊張のせいかもしれないし、頭が軽くなったせいかもしれない。 「遅いよ」という球審の小言を流して、構える。相手の投手は背が高く、手も足も長かった。 思い切って。同い年。自分のスイング。 だから一体何なのだ。 一打席をくれてやるから、楽しんでこいと言いたいのか。だったらそう言え。しかし、自分を信じろと言われるよりは、随分マシだった。 18m先の相手を見つめる。真っ赤な顔は、帽子を取って汗を拭った。ベンチの中から何度か見てきた仕草だ。この暑さに参っているのか。帽子を被り直した投手が、モーションに入る。 長い腕をしならせるように投げるボールは、確かに速い。 「ストライク!」 うるせえ。 球審のコールに響く観客に、ひとつだけ舌を打った。 ボールを返された投手は、また帽子を取って汗を拭う。 女子か。 先急ぐ思考を、息と共にゆっくり吐き出す。 また、投球動作に入る。フォームはさっきと変わらないはずなのに、なぜか威圧を感じない。 身体が、反応した。 「涼、走れーっ!」 バットを手放して駆け出した時、セカンドが横跳びしているのが見えた。 全力で足を回したので、ボールがどうなったのかは見えていない。 滑り込んだ一塁にしがみつくような格好で、塁審を見上げた。塁審は静かに両手を広げて、落ち着いた声でコールした。 「セーフ!」 こみ上げてくるものを、衝動のままに吐き出した。まばらなスタンドの拍手も、歓喜に沸くベンチも、どうでもよかった。 「っしゃあああ!」 握りしめたのは、俺自身の快感だった。
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