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「いじめられる側に問題がある」
これはよく父に言われた言葉だが、いじめる側の言い分であると私は思う。
子供の頃、「お前は普通じゃない」とバイト先の店長や、担任教師に言われたが、人と違うところをいじめるための原因や理由にしているだけであり、ほとんどの場合、自分ではどうすることも出来ないところがいじめの原因になっている。
そして、いじめられているだけでも辛いのに、周りの大人がこういう言葉をかけることによって、よりその子を追い詰めてしまう。
「自分が悪いんだ、いじめられる自分が悪いんだ」と思い込み、追い込んでしまうから子供の自殺が増える。
言葉は、時に簡単に人を殺すことができる。
使い方によって、いくらでも凶器になってしまう。
体の傷は目に見える分治療も出来るが、心の傷は厄介なのだ。
見えないからこそ、心の傷は深くなり、治りづらい。
口に+と-で「吐」という漢字になる。
言葉を使うとき、マイナスな言葉やプラスな言葉があるということ。
愚痴や不平不満、悪口などを吐くこともある。
ただ、そのマイナスな言葉を止めて、プラスな言葉だけを吐くとどうなるか。
マイナスを取ると「叶」に代わる。
言葉の影響力とは物凄く大きく、常にマイナスなネガティブな言葉を吐けば、どんどん物事は悪い方へ行くし、逆に良いプラスな言葉を吐けば物事は良い方向へ行く。
言葉は人を不幸にも幸福にすることができる。
悪い言葉を吐く人は質の悪いことに、人を不幸にしていることを理解していない。
自分の吐いた言葉が、何気なく吐いた一言がどれだけ人を追い込むのか。
人の痛みが理解できないことが、いじめられっ子よりも恥ずかしいと気づいてほしい。
もし、自分の周りで辛い思いをしている人がいたなら、プラスな言葉で寄り添ってあげてほしい。
そばにいてくれる人が、たった一人でもいてくれることで勇気が持てる。
私には高校の担任がその人であった。
誰か私という人間を殺してほしい。自分では死ぬ勇気がない。
ならば誰でもいい、私という人間をこの世から消してくれ。
何度もそんなことを思った。
だが、自分が死んだところで何が変わるのか。
いじめっ子の標的が変わるだけでいじめはなくならないし、大人たちは「面倒くさい」としか思わないだろう。
一か月後には綺麗さっぱり忘れられている。
それこそ無駄死にだ。
おばあちゃんやムクの死によって、教えられた。
死ぬことで、必ず誰かが悲しむ。
悲しむ人は誰もいないと思っているのは自分だけで、必ず誰かがどこかで悲しむ。
見えていないだけ。
私は人の涙に弱い。
人の流す涙は、自分のそれより重い何かがある。
人を悲しませるくらいなら、自分がガマンしよう。
そう思い、たった一人で長い長い暗闇を走り続け、やっと一筋の光が見えた。
もうすぐ出口だ。
「よく堪えたな、あたし!」
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