長い長い暗闇

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 学校では、よくもまあ毎日飽きもせず、いじめることができるなぁと思うほど、学年全員からのいじめの毎日であったが、ある日母と一緒にムクの散歩に出ていた。  いつもの公園の前に差し掛かると、同級生ではあるが、クラスは違う、でも顔はお互い知っているくらいの友人でも知人でもない女の子が、私に近づきながら 「あ~玲奈だ!いじめられてんのに、よく毎日学校来れるよね」 と言われた。  母の様子を伺うと、少し離れたところから様子をみているようだった。 「学校は好きだから。誰かの声が聞こえてる方が落ち着くしね」 「やっぱ、あんた馬鹿だわ。普通いじめられてたら学校こないよ。ていうか、もう私なら死ぬね。あ、あんたも死んじゃいなよ、生きてる価値ないしさ」 心をえぐるような言葉が深々と小さな胸に突き刺さる。 「生きるも死ぬもあたしが決めること。誰かに言われて死ぬのは嫌だね。それにいじめられてるなんて思ったことないし。」  本当は死にたいと何度も思った。でも死ぬ勇気がない。死にたくても死ねないのだ。 「何えらそうに言ってんの?いじめられてるのを認めたくないんでしょ。弱虫」 「いじめてることは理解してんだね。知ってて止めない人こそ死ねばいいのに。そういう人を弱虫っていうのよ。それにある意味、私有名人よ。」 笑顔でそう言うと、彼女は不思議そうな、でも怒ったような顔で、 「は!?何言ってんの?あんたのどこが有名人よ!」 「考えてみてよ、あなたは学年全員から名前も顔も覚えられてる?私は、学年全員から名前も顔も覚えられてる。私は全員の名前も顔も知らないのにね。だから有名人。」 ケタケタ笑いながら教えてあげた。  彼女はいかにも小馬鹿にしたような、苦虫をつぶしたような顔をしながら何も言えずに帰っていった。  離れた所で会話を聞いていた母が、 「あんた、いじめられてたんだ・・・知らなかった。 なんで言わなかったの?」 「ごめんなさい。でも言ってもいじめはなくならないでしょ?もし学校に言われたらもっと恥ずかしいから言えなかった。」 母は、大きな手を私の頭に乗せ、髪をくしゃくしゃにしながら、 「そうなのね・・・辛くなったらいつでも言いなさい。 でもあんたの切り替えし良かったわぁ、いじめられてるのに学校が好きとか、自分は有名人だの、よく頑張ったね。」 そう言ってギュッと抱きしめてくれた。  母の優しい匂いが心地よかった。  家は両親と祖母とムクの5人家族。  父は80歳の今でもタクシー運転手。  母は中華街の有名なお店の工場で肉まんを作っていた。  両親ともに、夜は遅く、朝も早い。  なので、両親の代わりに祖母が私の世話をしてくれた。  祖母は毎朝、 「そんな恰好じゃ風邪ひくよ」 と、夏も冬も季節問わず、腹巻・毛糸のパンツをワンセットで持ってくる。 「そんなのいらないよ!着ていけないよ、恥ずかしい!」 そんなやり取りが毎日の日課だった。  月日は流れ私が12歳、梅の花が咲き始めたころ。  夕飯を食べ終え、お風呂にも入り、夜20時頃に、祖母にお風呂に入るように伝えるのが私の役目だった。 「ばぁちゃん、お風呂だよ」 「はいよ」 静かな川の流れのような、いつもと変わらない日常だった。 「お父さん!!早く来て!!おばあちゃんが!!」 夜中の2時頃、大きな声でたたき起こされた。 「玲奈!!毛布持ってきて!!」  何が起きたのか全く理解できぬまま、自分がかけていた毛布を手に取り、階段を下りていく。 「おばあちゃん、何してんの?早く起きないと風邪ひくよ」 母の声がするが、祖母の声は聞こえない。 恐る恐る階段を下りながら、 「どうしたの?」 「おばあちゃん、お風呂で寝てるのよ。 あんた、そこに毛布広げて、足持って。 おばあちゃん、起きて。風邪ひくよ」  何度も声をかける母の頬には涙を見て、 (人が死ぬってこういうことなんだ)  どういうことかよく分からないが、分からないなりに何かを悟った。  ただ、今でも忘れられないが、おばあちゃんが亡くなった時、私は体に触れたが何時間も立っているのに死後硬直もなければ、肌もピンク色をしており、顔はうっすらと笑みさえ浮かべていた。  病院から帰った母の話では、たぶんお風呂の栓が足に絡まって抜けて水も飲まずにいたこと、一切苦しまずに逝けたであろうことなどを聞いてきたらしい。  89歳の大往生で、笑顔で逝けたことを思うと、おばあちゃんの人生はきっと素晴らしいものだったのだろう。  翌日は友引だったため、どうやらお通夜も告別式も出来ないらしい。  その間に町内会館を借り、そこに棺に入ったままおいていた。  普通は日がたつと遺体から匂いがするが、おばあちゃんは全く匂いもせず、死後2日たっても硬直せず、相変わらず眠っているような姿のままだった。  もし、天国というものがあるならば、確実に祖母は天国にいる。  友引も明け、お通夜も終わり、春雨が祖母を偲ぶかのような天気の日。  たくさんの人がお別れをする日。  滞りなく進む告別式。  これから出棺というとき、外でものすごい声で何かが鳴いていた。  なんだろうと玄関先に見に行くと、そこにはムクの姿があった。  家を出るときに玄関にカギをかけたはずなのに、どうやってきたのだろう。  いつもはクーンクーンと可愛い声で鳴くのだが、この日は遠吠えとも違う、なんとも表現に悩む声で鳴いていた。 「ムク、なんで鳴いてるの?だめだよ、静かにしないと」 頭をなでても一向に鳴きやまない。 母がそばにやってきたので、 「ママ、ムク鳴きやんでくれないよ、どこから出てきたのかな?」 「きっとムクも悲しいのね。ムクはかわいがってくれたおばあちゃんに最後にお別れ言いに来たのよ。おばあちゃんもムクに逢いたくて鍵、開けたのかもね。」  涙が止まらない。ムクを抱きしめ一緒に泣いた。  心の中では、おばあちゃんは寝てるだけだと思っていたが、母の話を聞き、一緒に泣くことでやっと実感し、人が死ぬとそばにいた人はこんなに辛く、悲しいのだということを知った。  「死」とは必ずみんなに、平等に訪れる。  自ら死を選ばなくても、必ずいつかは皆死ぬ。  だからそれまで、どんなに辛くても必死に精一杯生きろ。  おばあちゃんに教えられた気がした。  今まで、いじめにあい、辛く悲しく、何度も死にたいと思った。  でも、おばあちゃんに、生きる強さや勇気をもらった。  自ら死を選ぶことは簡単だが、残された人はどんな思いをするのか。  もう2度と死を考えるのはやめよう、どんなに辛くても戦おうと心に決めた。  今も心残りが一つ、毎朝持ってきてくれた毛糸のパンツと腹巻・・・  素直につけてあげれば良かった・・・  おばあちゃん、ごめんね・・・
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