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02.難しいお名前で、ちゃんと呼べなかった
ここでようやく人影に気づいた人間が騒ぎ出す。が、すぐに静かになった。ゴロンと転がる首、手足、バラバラになった人間がたくさん落ちてくる。赤い血が流れて、僕を踏んでいた足も倒れた。ほっとしながら身を起こそうとして、指先に力を入れたら激痛が走る。
「僕の……指、っ、痛ぃ」
短くなった指をぺろりと舐める。すごく痛い。鼻を啜った僕は、ひょいっと黒い人影に抱き上げられた。顔を近づけて、ようやく気付いた。この人は肌も髪も黒いんだ。だから影になると分かりにくい。布を被っていると思ったのは、長い髪の毛だった。
急に近づいた顔はすごく綺麗だ。ドラゴンの中ではお母さんが一番美人だけど、そのお母さんより綺麗だと思う。目が金色でキラキラしている。たくさん魔力がある人だ。僕が知っている昔話の魔王様も、金色の目だったんだよ。
「綺麗……」
「っ! そこまで言うなら仕方ない。俺が面倒をみよう」
にやっと笑った黒い人は、僕の指先の傷をぱくりと口に入れる。すぐに痛みが消えて、指が生えてきた。元の長さになった指をきゅっと握って確認する。痛くない。
「あり……がとう」
凄い人だ。僕を助けて、指も直してくれた。魔族にとって強いのは偉いこと。僕はもう一度お礼を言い直した。
「ありがとうございますっ!」
「うむ。名は何という?」
「僕はウェパルです」
元気に名前を口にしたら、黒い人は額を押さえて呻いた。気づかなかったけど、どこかケガをしたのかな。心配になって近づく。でも偉い人に勝手に触れたらいけないんだ。
「それは真名だろう。人に教えてはいけない。両親は教えてくれなかったのか?」
まな? 僕は知らないので首を横に振った。教えてもらってないし、聞いたこともない。困って見上げると、彼はきょろきょろと周囲を見回した。
「ここは俺のいた世界ではないのか……ならば常識が違うのだろうな。ウェパル」
「は、はい」
なんだろう、背筋がぞくぞくした。慌てて返事をした僕の様子に、黒い人は何度も瞬きした後で「ベルゼブルだ」と名乗る。
「べるぜ……ぶりゅ」
上手に言えなかった。泣きそうになって鼻を啜り、もう一度挑戦する。
「べる、ぜぶぅ」
難しい。偉い人なら様もつけないとダメ。半泣きで頑張ろうとしたら、黒い人が僕を抱き上げた。ドラゴン姿で、まだ人の形になれない。その僕を抱き上げて、額に唇を押し当てた。お母さんと同じ合図だ。僕のことを大好きだよって、知らせる仕草なの。お父さんもしてくれる。
「この世界では発音しづらいようだ。ふむ……ベルと呼べ」
「うん……ベル様」
こっちは呼べた! 嬉しい気持ちが尻尾に現れる。ぶんぶんと左右に大きく振ったら、黒い人……じゃなくて、ベル様が笑った。僕の額にまた唇を寄せる。ぎゅっと目を閉じたら、額じゃなくて目の上に触れた。これは初めてだ。びっくりして動きが止まる。
「ウェパル、両親がどこにいるか分かるか?」
「ううん、分かんない」
しょんぼりしながら、お父さんとお母さんが心配していることを思い出す。お母さんと一緒に寝ていたら、いきなり僕だけここに呼ばれたの。嫌だって言ったのに、無理やり出されたんだ。そう説明した。ふと気になって、ベル様の後ろを見る。
さっきの怖い人間が、僕やベル様を攻撃したら嫌だから。でも真っ赤な色になった肉は動かなかった。手も足もバラバラで、頭も転がってる。
「どうした?」
「えっとね、人間が散らかってるから……こんなに散らかしたらお母さんが怒ると思ったの」
「ああ、それなら心配無用だ」
ベル様の足元の影が大きくなって、ぺろんと呑み込んだ。全部消えたよ。赤い血も頭も手足も、何も残っていない。
「すごい!」
「まずはそなたの両親を探さねば……」
「そなた、違うよ。ウェパル」
「何度も呼ぶと支配してしまうぞ」
よく分からない。首を傾げた僕の背をぽんぽんとあやすみたいに叩いて、ベル様は目を閉じた。僕のお母さん達を探してくれてるの。黙ってじっと待っていた。
ベル様って、綺麗なお顔だな。いい匂いがするし、我慢できなくてぺろりと頬を舐めてしまった。
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