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そのまま夕日の方向に連れて行かれる。案の定、海水が軽く浸かってしまった。冷たいし、サンダルの中に砂が入ってくるのもなんか嫌だ。
だけど、カメラを向けられてしまっては不快な顔はできない。無理やり口角を上げる。
小野は俺の手を離さず、むしろその握った手をカメラに見せつけた。
――He is my boyfriend.
小野の言葉に、女性は「フゥ〜」と盛り上がる。
突然なんて事言いやがる。日本だったら殴ってたぞ。
さっきのお返しとばかりに、女性は流暢な英語で俺たちを煽る。煽られるがままに小野は俺の腰に手を回し、さらには後ろから抱きついてきた。
奇異の目で俺たちを見る者はいない。というより沈んでいく夕日の絶景にみんな夢中だ。
だが、さすがに頬に生暖かい感触を覚えた瞬間、反射的にその顔を押しのけた。腕からするりと抜け出し、ついでに蹴り上げた海水を食らわせる。
「ちょ、ひどいッスよ!」
水が目に入ったのか、小野はマヌケな顔で訴える。
それが面白くて、俺は吹き出した。
俺が腹を抱えている間に、小野は女性から自分のスマホを受け取る。お礼を言って「バーイ」と手を振り、女性が去っていく。小野は防水ケースにスマホをしまうと、すぐに海水の反撃を仕掛けてきた。
水の掛け合いはエスカレートし、いつしか相手を転ばせるゲームに発展していく。
油断した隙に片足を取られ、俺は全身で派手に水しぶきを上げる。すぐさま髪をかきあげながら体勢を立て直し、けらけら笑う小野を羽交い締めにした。このまま海へ道連れだ。
気づけば夕日は沈んでいた。
全身ずぶ濡れで砂浜を歩く。
最悪な状況のはずなのに、不思議と最悪な気分ではなかった。
足は砂まみれ、口の中はしょっぱくて不快だし、預けた荷物を取りに行くまで着替えることもできない。だが、それ以上に気持ちが晴れやかだった。
「あー、なんか、ビールが飲みたい!」
「わかる。俺も」
俺たちは、どこからどう見ても観光地にはしゃぐ外国人だ。
それもいい。
今は、楽しさに身を任せるのが正解だ。
近くの屋台で、小野が元気よく瓶ビールを注文する。受け取る前に、その場で栓抜きで開けてもらうと、王冠が2つ、カランと音を立てた。
終わらない夏の、終わりの合図が聞こえた。
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