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現在
「どうもこんばーんは 僕の名前は太ー陽ー」
気付けば今日もまた口ずさんでいる、私の大好きな歌。
黄昏時を過ぎ、カラスの帰宅もとっくに済んだであろう時間帯。四畳にも満たない狭いキッチンには鼻唄と、包丁のまな板を叩く音だけが響いている。
今日の夕飯はハンバーグ。と、卵スープだ。
「タイヨウのおうたー」
不意の声に包丁を落としそうになる。危ない、危ない。目線を左下にやると、シンク台より少し低い位置からこちらを見上げる、愛娘の日向の姿があった。幼稚園から帰ってすぐお昼寝していたはずだけど、知らぬ間に起きていたらしい。
「そうね。太陽のお歌だね」
頭を撫でてやると日向は気持ち良さそうに目を細めた。
「いつもうたってる」
「そうね。お母さんの一番好きな歌なの」
「ひなもすき!」
無邪気な返事に自然と頬が緩む。
ささやかな幸せ。でもそれが当たり前じゃないことを、私は知っている。私が今こうして居られるのは全て「太陽のお歌」のおかげなのだ。
✳︎✳︎✳︎
「ただいま」
玄関から声がした。私は料理の手を止め、日向と一緒に夫を迎える。
「お帰りなさい」
「おとーさん! おかーさんがね、またタイヨウのおうたうたってたの!」
なぜ報告する、娘。あははと誤魔化す私に「相変わらず好きだなぁ」と苦笑いで返す夫。
そのぎこちない笑みが、遠い記憶の蓋を抉じ開けた。
確かあの日も夫はこんなふうに笑っていた。
かつて笑うことを忘れた私に笑顔を取り戻させてくれた、あの秋の日も。
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