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(本章のみの読切)
「一緒にひまわり畑を見に行かない?」
アパートで寝転がっていると、今日もまた、少女っぽい声が耳許で聞こえた。
いつものとおり、声の主は一切見えない。
「ねえ、知らんぷりしないでよ」
きっと、ボクはヤバめの病気なのだろう。
だって、これは幻聴なのだから。
「ひまわり畑ってどこにあるんだよ?」
「この近くにあるよ」
どういう訳か、この幻聴の主と普通に会話ができてしまうから、タチが悪い。
この声が聞こえるようになったのは、夏休みに入ってからだ。
大学生になって憧れの一人暮らしを始めたものの、サークルやアルバイトの人間関係がうまくいかず、いつもボクは一人ぼっちで過ごしていた。
長い夏休みだというのに、もうずっとアパートにこもってばかりだ。
時折、アパートの隣にあるコンビニに食べ物やドリンクを買うために出かけはするが、それ以外はどこへも行かない。
一人でこもっているから、病んで幻聴を引き起こしているのだろう。
「コンビニ以外にも出かけようよ。でないと夏が終わっちゃう」
「無理」
テキトーにこの声をあしらい続けて、どのくらいが経っただろうか。ついに、この声の主は、しびれを切らしたようだ。
「もう、夏が終わっちゃう。いい加減にして! 一度くらい、ひまわりを見に行こうよ」
「行きたくないんだけど」
「困る」
「どうして?」
「私は、夏しかここに存在できない幽霊だから。ごめん、強硬手段にで出るわ」
すると、天井から何かが落ちてきた。
「何、これ……? 青いサングラス?」
ついにボクは幻聴だけでなく、幻視、幻触まで引き起こしてしまったか?
「これを掛けて」
言われるがまま青いサングラスをかけると、驚いて腰が抜けてしまった。
「ひぃー! た、た、助けてー!」
目の前に、幻聴の声の主らしき少女がいた。
「もう、うるさい! 失礼だよ」
極端に青い不思議な偏光レンズのサングラスをかけると、この少女が見えるようになるらしい。
「よし、行くよ」
この少女はボクの手を取り、外へ連れ出していく。
この青く染まったレンズを通すと、景色がくっきりと見えた。青いこの世界は、何と美しいことか。
レンズでカバーできていない視界の隅は真っ白で、このコントラストも面白い。
どれくらい、歩いたろうか?
気が付いたら、公園のような空間にいた。
「着いたよ」と少女は言う。
ボクは辺りを見回すが、ひまわりなどない。ただの空き地のようだ。
「ここは夏の最果ての地。夏から秋に変わる臨界点って言うべきかな。この柵のすぐそこは、もう秋よ。私は、ここまでしか行けないの」
「ひまわりなんて、ここにないじゃないか」
「ほら、よく見てよ、このミラー。この鏡の中には、ひまわりがたくさん咲いてる」
確かに、ミラーには満開のひまわりが映っている。しかし、振り向いても、鏡に映るべきひまわりはなかった。
「鏡の中は、さっきまであなたがいた表の世界。で、こっちは私のいる裏の世界。この夏の臨界点付近だけは表と裏がつながって行き来できるの。それをあなたたちのいる表では、盆って言うじゃない」
「何で、ボクをこの世界に呼んだんだ? ひまわりが見たいって誘ったくせに、ないなんておかしいじゃないか?」
「だって、あなた、表の世界で生きていても楽しくないでしょ?」
「どういう意味だ?」
「毎日毎日、ずっと部屋にこもって、つまらないじゃない。だったら、こっちで私と暮らさない?」
「……まあ、それも、悪くないけど……」
「よかった! もう秋直前だったから焦ったけど、ギリギリセーフね」
その時、遠いところから響くかすかな声が聞こえた。
(……シュンスケくーん)
誰かが、ボクを呼んでいる。
(シュンスケくーん、もう秋だよ。一緒にヒガンバナ、見に行こう)
「この声は、……ハルナだ!」
「違う、こんなの幻聴よ」
少女は、動揺し出した。
そうだ。
サークルやアルバイトの人間関係がうまくいかなかっただけではない。付き合っていたハルナに見捨てられたのがショックで、ボクはこもるようになったのだ。
でもそのハルナが、ボクのところに戻ってきてくれた……。
一筋の涙が、頰をつたう。
「ごめん、もう夏は終わったみたいだ。ボクは、ハルナが待ってるから、この先へ行くよ」
「ダメ!」
引き止める少女の手を振り払い、臨界点の柵の先へボクは飛び込んだ。
そこには海があり、体がどんどん沈んでいく。
しかし、幸いにも、頭上に光が見えた。
行くんだ、光の方へ。あの光源へ……。
「先生、患者の意識がもどりましたよ!」
目を開けると、ボクは病院のベッドの上にいた。
「よかった!」
ハルナは泣き崩れている。
ふと、病室の隅を見ると、セミの死骸が転がっていた。(了)
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