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「ただ……」  玄関入って「ただいま」を言おうとして、飲み込む。  三和土に男物の靴。見慣れてはいるけど、いつもあるわけではない。  パパ……帰ってるんだ。  こんな、早い時間に。  パパがいると、ママの様子がいつもと違ってしまう。  私はそれが嫌だった。  ああ、どうしようかな。  こっそり部屋に行く……?  庭にいる? 外をぶらつく?  六月の夕方。まだ明るい時間だけど、今にも雨が降りそうなどんよりとした空だった。  こっそり部屋へというのも難しい。  二階への階段へは、リビングを通らなければならない。  そうっと靴を脱ぎ、パタパタと音のしてしまうスリッパは履かずに、そうっとリビングのドアに近づく。  少しだけドアが(ひら)いていて、(なか)を覗き込む。  中央のテーブルの傍で立ったまま向かい合っている二人。パパは背中しか見えず、ママは酷く厳しい顔をしている。  私には見せないような……。  二人は黙り込んでいる。  バンッ。  突然、パパがテーブルを叩いた。 「いい加減、これにサインしてくれ。もう一年以上も待ってる」  そう言ってもう二、三度叩く。その手の下には一枚の紙。  ああ……あの紙は、アレだ。  離婚届っていうヤツ?    そう。そうなんだ。  私は知っている。  自分で言うのもなんだけど。  私は可愛い。  成績もそんなに悪くない。  運動も得意。高校ではチアダンス部に入っている。  明るい性格で誰とでも仲良くできる。  友だちもたくさんいるし、何度も告白されている。彼氏はいないけどね、  大きなお家に、広い庭。  優しいママ……。  仲の……良い……両親。  一人っ子の私を、可愛がってくれて…………。  学校の皆には、そう自慢してた。  確かに、そう、そういう時もあったんだ。  いつから──こんなふうになったんだろう。  小学生の頃までは、今よりずっと小さいお家に住んでいた。  パパが事業に成功して、この家を建てた。  だんだんとパパが家を空ける日が多くなり、そこから崩れてきたんだ──私たちの幸せなお家が。  こうやって、私のいないところで諍いを起こす。  それを何故か私は目撃してしまうんだ。    こんなこと、学校の誰にも言えない。  イメージダウンもいいとこ。  親友のあーやにさえ。    いったい、誰のせい? 「貴方が私の条件を呑んでくれないから」  低い低いママの声。 「──茉莉花のことか」    え?  私?  小さく開いていたドアを知らず、少しずつ押して行く。  もっと良く聞こうと。 「茉莉花は、お前のところに行くのがいいだろう」    そうだよ、私。  パパとママが離婚したら、どちらかに行くことになるんだよね?  私は、ママのところに……。 「困るわ」  さっきよりも高いトーンで、はっきりと言う。  え? ママ? 「あっちの家にも子供が二人いるのよ。上手くいく気がしないわ」
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