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その日の午後、今日最後の依頼先のマンションに到着した。
天を見上げると、建物の上層部は空の彼方に消え、見えない。
伊織は、そのマンションの高さに度肝を抜かれていた。
「……………たっかっ」
このエリアは所謂、超がつく富裕層が暮らす地域で、
立ち並ぶ摩天楼は、伊織には一生、手が出る物件ではない。
空の彼方に聳え立つ、超高級マンションを見上げながら、
伊織はしみじみと、心の声が零れていく。
「こういう所で暮らす人の生活って、どんな感じなんだろ…」
初めてこういうタイプの依頼者の元へとやってきた。
あまりの高級感に、伊織の足が二の足を踏む。
「んんっ、よしっ」
だが、いつまでも躊躇してはいられない。
伊織は、気合を入れてエントランスに乗り込んだ。
□◆□◆□◆□
「いらっしゃいませ」
高級マンションだけあって、コンシェルジュが常駐している。
伊織は、カウンターで名刺を差し出し、来訪の目的を告げた。
「すみません。今日、こちらにお住いの坂田様から依頼を受けました、山科家政婦紹介所の松雪と申します」
自分の名を告げると、コンシェルジュが上品な笑みを浮かべ、
伊織にセキュリティの説明を始める。
「はい、坂田様からお伺いしています。どうぞ、こちらがゲストキーです。終わられたらこちらにお返しください」
伊織は、キーを受け取り、セキュリティの説明を受け、依頼者の部屋へ向かった。
エレベーターが到着する。
チンッと、これまた高級感のある到着音とともに、ドアが開く。
伊織が乗り込もうとすると、降りる人影が見えたので、
邪魔にならないように、一歩横にずれた。
一瞬見えた箱の中は、真っ黒な塊が詰まっていた。
降りてきたのは、オールブラックの、
明らかにそっちの世界の男たち。
(………こっわ、ここに住んでるのかな?)
伊織は、目を合わせないように、足元を見つめ、
黒ずくめの塊が、去っていくのを黙って待った。
すると、その黒い塊の中心にいた一人がふと、足を止める。
その男の靴先が、伊織の方に向いた。
「…」
男の視線が、伊織を見定めているのか、
何だか熱を持ってるように伊織は感じた。
(………めっちゃ見られてる)
伊織は、目線も体も動かすことができなかった。
「若、どうかされましたか?」
「………………いや、行くぞ」
どれだけ固まっていただろう。
ブラックの集団は、ようやく伊織の側から離れていった。
止まっていた息を深く吐く。
身体が緊張で強張っている。
しばらく呆けていたので、エレベーターのドアが閉まりかける。
咄嗟にがっと手を差し入れ、ドアが閉まるのを止めた。
伊織は、ざわついた心をどうにか落ち着かせ、
依頼主の部屋へ向かった。
□◆□◆□◆□
依頼主は、家にいるということだったので、インターホンを鳴らす。
"はい"
「山科家政婦紹介所から参りました」
"ああ、お待ちしてました。今開けます"
カチャリと玄関の鍵が開くと、
可愛らしい奥様が出迎えてくれた。
「本日は、ご指名いただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って、伊織は名刺を取り出した。
「山科家政婦紹介所から参りました、松雪伊織と申します。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」
依頼主に挨拶をして、伊織はここでの仕事を開始した。
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