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彪仁は、言い切る伊織に苛立った。
「伊織…」
「駄目です」
食い下がろうとする彪仁を、ぴしゃりと伊織は遮る。
そして、彪仁に訥々と言い聞かせる。
「彪仁さん、私の仕事はここでの家事全般です。彪仁のものにはなりましたが、それはそれ。起きる時間が私と彪仁さんでは違いすぎます」
「…」
「仕事とプライベートは分けなければ…。同じ屋根の下なら尚更」
「…」
なかなか納得しない彪仁に、最恐の殺し文句を伊織は放つ。
「それが駄目なら、私はこの部屋を出て、通いで来ます」
「それはダメだ」
「なら部屋を同じにすることもダメです」
「…」
彪仁はそれでも首を縦に振らない。
伊織は、今度は泣き落としをぶち込んだ。
「彪仁さん、貰うばかりの私が出来る事は、これだけなんです。この仕事でしか返せないんです。なので、このままさせていただけませんか?」
「……………」
そんな泣き落としの口説き文句を、伊織は延々と繰り返す。
表情も次第に上目遣いに、あざとく、最後は瞳を潤ませる。
「…彪仁さん、お願いします」
「………………わかった」
止めの一言で、ようやく折れた彪仁だった。
□◆□◆□◆□
遅めのお昼を食べ終えて、伊織は超特急で家事を済ませる。
彪仁は、ソファに座って忙しなく動く伊織を見ていた。
やっと心を通じ合い、伊織を側におき、
今日のような休みの日に、思う存分愛でられる。
彪仁はそう思っていた。
だが伊織は、寝坊したとヘコみ、今は遅れた時間を取り戻すかのように、
ぱたぱたと、ネズミのように走り回っている。
こんなはずでは…。
彪仁は、心底解せぬ思いだった。
晩御飯を食べ終えて、伊織がまた忙しなく動いて、
片付けが終わり、ようやく伊織の一日のルーティンが終わると、
「彪仁さん」
伊織が彪仁のそばへやってきた。
「終わったか?」
「はい。…あの、彪仁さん。今日はごめんなさい」
伊織は、彪仁の座るソファの隣で正座をし、しょんぼりしながら謝る。
「どうした?」
「…」
彪仁は、伊織の言いたいことは分かっていた。
『家事』は伊織にとって、ここでの存在意義だ。
それが無くなると、ただの穀潰しだと考えている。
だから、その存在意義を伊織は守りたいのだ。
彪仁は、伊織の身体を抱き寄せる。
「伊織、謝らなくていい。分かってるから」
「…ごめんなさい。そんなに器用な人間ではないので…」
伊織は、申し訳なさでいっぱいだった。
「伊織、とりあえず明日も俺は休みだから、今日も一緒に寝るぞ」
「………だから」
「伊織も休みは必要だ。俺が休みの日は一緒に休む。決まり」
「…………」
彪仁は、有無を言わさず言い切った。
伊織は、自分の存在意義を認めてくれる彪仁の気持ちは、
充分すぎるほど理解していたので、
休日の申し出は、二つ返事で受けることにした伊織だった。
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