2022人が本棚に入れています
本棚に追加
あれから二人は、他愛のない会話をしながら飲み続け、
並んでいた皿の上は殆ど無くなり、空の皿が隅に積み上がっていた。
彪仁は、伊織の飲むペースを心配しながら、伊織の好きに飲ませた。
目の前の伊織の機微が、今日はいつもと少し違うと感じて、
彪仁は、殆ど飲まずに伊織を注視していた。
『ワク』だと豪語していた伊織。
その言葉通り、業務用の酎ハイの素が、どんどん無くなっていく。
だが、炭酸のペットボトルが増えるにつれて、
目の前の伊織の身体が左右に揺れだした。
「伊織、酔ってるな。もう眠いだろ?」
「いーえ。だいじょうぶれす」
大丈夫じゃないだろ…。
「あやとさん」
「何だ、伊織」
「んー…彪仁さん…」
「ここにいる。伊織」
彪仁は、伊織が泣きそうだなと思った。
なので伊織の側に膝立てて座る。
「伊織…」
「………」
思った通り、伊織の瞳には雫石が今にも零れそうだった。
彪仁は、そんな伊織の頬をそっと包む。
「どうした?伊織」
「…」
伊織が吐き出す言葉を辛抱強く待つ。
「………私って、面倒くさいですね」
「そんなことはない。俺はどんな伊織も受け入れる」
「…彪仁さん、私、あなたの事が好きで、どうしようもなく…好きすぎて仕方がないんです。もう、ここを出ていくなんて考えられないくらい…」
「伊織、俺はお前を一生傍に置く。これは決定事項だ。だから、出ていくなんてことは起こらない」
「でも彪仁さん、私が出来る事は家事だけなんです。彪仁さんに返せることは、これしかないんです」
「伊織、分かっているよ。お前が俺のためにやってくれていることは。いつも言っているだろう?伊織の好きにしていいんだ。大丈夫」
「彪仁さん…。私、貴方から受けた恩を、どうやって…返したらいいですか?」
「充分、返してもらっている。伊織がこうして、俺の傍に居てくれさえいればいい」
「…」
「伊織、だから大丈夫。お前は変わらなくていい。このままで、どんどん俺を振り回してくれ。大歓迎だ」
「…あやと、さん」
「ん、おいで。伊織」
伊織は、倒れ込むように彪仁の腕の中に納まった。
彪仁は、伊織の身体をしっかりと抱える。
「彪仁さん、私、これからも面倒くさいと思います」
「そんな伊織も可愛いから、許す」
伊織は、小さく笑う。
「彪仁さん…。ごめんなさい、飲み過ぎました」
「たまにはいいだろ。そんな時もある。伊織は、生きてる環境が突然変わったから、心が少し疲れたんだろう。この前の身体の疲れと一緒で。俺が無理をさせすぎてるからな」
自覚はあるんですねと、伊織は笑う。
「伊織、もう寝ようか。明日もゆっくり起きればいい」
「………いえ、いつもどおりに、おきます…」
伊織はそう言って、彪仁の腕の中で沈んでいった。
愛しい伊織を抱き、彪仁は呟く。
「伊織、面倒くさいのはお前じゃない。俺が面倒くさいから、お前が疲弊するんだ。悪いな伊織。多分これは、それからも変えられない」
人は、似た者同士で引き寄せられるもの。
伊織と彪仁は間違いなく、互いの唯一。
今日は、思いがけず互いに確認した一日だった。
そして、伊織の彪仁に対する抵抗が、
また少しだけ、緩む一日にもなった。
最初のコメントを投稿しよう!