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翠が伊織に抱きつき、どこまでもじゃれあっている姿を、
玄関の上がり框で、彪雅が眺めながら待っていた。
「翠、いい加減にしろ。早く連れて来い」
「んもうっ、彪雅さんまで…」
翠はようやく伊織を解放し、手を取って玄関へ引っ張っていく。
「えっ、ちょっ、翠さんっ」
「さ、伊織ちゃん!! 早く早くっ」
伊織が躊躇する間もなく、あっさりと虎穴に引き摺り込まれてしまった。
玄関土間まで入ってきた伊織を、彪雅が優しく迎える。
「伊織、よく来たな」
「はい、お邪魔します。あ、これ。何人いらっしゃるか、分かりませんでしたので、足りないかもしれませんが、良かったら」
伊織が風呂敷包みの箱を差し出した。
「何なに?伊織ちゃん?」
「おはぎです。ちょうどお彼岸ですから。お口に合うと良いんですけど…」
そう言って差し出すと、隣に控えていた剛志が受け取った。
「伊織さん、ありがとうございます。姐さん、上がってもらってください」
橘の屋敷では、既に伊織は『若姐』と認知されているが、
剛志は屋敷の呼称ではなく名前で呼び、奥へと入っていった。
彪仁は、昨日から伊織が何やら、いそいそと作っているな…とは思っていたが、本家に行くのに、わざわざ作ったのかと少し、嬉しく思った。
「?彪仁さん?」
そんな彪仁に、不思議そうに伊織が振り向く。
「…いや、行こうか」
「はい」
こうして伊織の、本家デビューの晴れ舞台が始まる。
□◆□◆□◆□
一間幅のある、広く長い廊下を、どこまでも歩いて行く。
途中、厳つく、肌がカラフルな人たちとすれ違う。
そんなカラフルさんたちは、伊織たちが通ると道を開け、次々に腰を折っていく。
伊織は、おっかなびっくりしながら、彪雅たちについていった。
やがて到着すると、部屋の前の襖が開け広げられた。
促されて部屋に入り、まず目に飛び込んできたのは、襖絵に虎と天井に龍。
(どこかの殿様の城か!?)
伊織は、思わず心の中で突っ込んだ。
「伊織、どうした?」
「…いえ、何でもありません」
ブンブンと首を振り、気合を入れて、伊織は彪雅の部屋へお邪魔した。
ソファに座り、隣には彪仁。対面には彪雅と翠が座った。
厳ついお兄さんが入って来て、きれいな所作でお茶が出てくる。
茶請けには、伊織が作ってきたおはぎ。
「ありがとうございます」
伊織がお礼を言うと、にっこり微笑み返してくれた。
よくよく見ると、中々のイケメン。
でも、手首の袖からは、チラリとスミが見えた。
伊織はそれを見て、思った程怖くは感じなかった。
(おおっ、肌がカラフル以外は、普通だ…)
逆にそんな風に思っていると、目の前の翠がおはぎに歓喜の声を上げた。
「きゃー、おいしそう。凄いわね、伊織ちゃん」
「ありがとうございます。餡子から一応作ったんです。市販品でもいいんですけど、やっぱり自分で作った方が美味しいので」
伊織と話しながらも翠の手は止まらない。
おはぎを切り取り、ぱくっと食べた。
「…………おいし」
「そうですか、良かったです。久しぶりに餡子作りました」
「伊織ちゃん、手間暇かかったでしょ?」
「そうですね。でも、作ってて楽しかったですし、こうして美味しいと言って貰えたら、言うことないです」
「何でも作っちゃうのね~」
「ふふふ」
そう話している間に、翠はあっという間に完食した。
「はぁ~、美味しかった。伊織ちゃん、ありがとう。ごちそうさま」
「いえ…お口に合って良かったです」
そうやって、母娘のような会話を交わす横で、
虎二匹が、その様子を互いに感慨深げに眺めていてた。
「彪仁、伊織は凄いな」
「何がだ。餌付けされてるだけだろ」
「お前、全く分かってない」
「あ?」
彪雅は彪仁に、翠がどういう人間で、
伊織がどう凄いのか、説明を始めた。
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