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電話を切って伊織は、彪仁に視線を向けると、彪仁が盛大にヘコんでいた。
伊織は、少しだけ可哀想だったなと思い、きゅっと抱き着いた。
「彪仁さん、ごめんなさい」
「…」
「でも、ありがとうございます。彪仁さんに心配かけないように、細心の注意を払って動きますから」
「…わかった。もう言わない。だから、無理だけはしないでくれ」
「はい。支度をしてください。朝ごはん、食べましょう」
「ああ」
伊織は、そう言って彪仁の頬をするっと撫でて、
彪仁が愛おしく思う、可愛らしい笑みを向けた。
□◆□◆□◆□
そんな伊織だったが、その日から悪阻が始まり、何も食べられなくなった。
更に、ご飯の匂いにも吐き気がしてしまい、家事が全く出来なくなった。
困った伊織は、迷わず翠に連絡を入れる。
「……おかあさん、すみません…あの」
"つわりが始まった?分かった。すぐに行くから"
そう言って翠は、すぐに来てくれてた。
「伊織ちゃん、大丈夫?」
「お母さん、ごめんなさい。朝からも少し胸やけっぽくて…それに気づいたら、何だか匂いの何もかもを受け付けなくなって…」
そんな伊織に翠は、泊まり込みで伊織の世話をかってでる。
「伊織ちゃん、謝らない。こんなの当たり前なんだから。妊娠が分かった途端に始まったね。安定期に入れば落ち着くだろうから、それまでしっかり耐えて?」
「…………はぃ」
伊織がこんな状態なので、当然炊事ができる訳もなく、
彪仁は、その間は本家で済ませていた。
伊織はご飯すら食べられなかったけど、一つだけ食べられるものがあった。
それは、金色の橋のロゴの、バーガーショップのフライドポテト。
ただのフライドポテトではなく、ここのポテトだけを伊織は受け付けた。
今日も、彪仁はバーガーショップの紙袋を片手に帰ってきた。
それを翠は受け取り、彪仁を風呂場に直行させる。
「彪仁、お風呂の準備はできてるから、先に」
「ああ、わかっている」
彪仁は、帰ってくるとまず風呂場に直行する。
それも、悪阻が始まってすぐ、伊織から、
「彪仁さん、インクの匂いが辛い…」
そう言われ、伊織に近づけなくなったため、
仕事が終わり帰ってくると、まず風呂場に直行するようになった。
風呂から上がって、ようやく伊織の様子を見に行けるのだ。
「おかえりなさい。彪仁さん」
「ただいま、伊織。気分は?」
「お察しの通りです。すみません。今日もありがとうございました」
「謝らなくていい。大丈夫だ」
伊織は、ポテトをすべて食べ終えて、歯磨きをすると部屋を出た。
「伊織ちゃん、大丈夫?」
「はい。さっき食べたので、歯磨きしようかと…」
「そ、伊織ちゃんの悪阻も面白いね。受け付けるのがポテトだけなんてね」
「ふふ、そうですね。でも食べられるものがあるだけで…」
「そうだね。私の悪阻の時は、あの風船に入っているアイスしか食べれなかったのよ…」
「え、この辺にありますか?かなり珍しいですよね?最近は…」
「うん。当時はネットスーパーなんて、便利なものは無かったから、みんなに広範囲に買いに行ってもらってた。あの風船しか食べれなかったから、探すのに苦労したよ。今はすぐに買えるけどね」
「……お母さんも、独特」
翠との話を終えて、鏡の前でシャコシャコと歯を磨く。
歯磨き粉も今までのものが使えなくなり、
試行錯誤して、塩入りの歯磨き粉に落ち着いていた。
伊織の悪阻はそれからしばらく続き、彪仁の買い物も毎日続く。
そして、苦しい苦しい悪阻がようやく終わりを迎えた。
「あ…匂いが気にならない」
「ホント?」
伊織は安定期に入りようやく、普通の生活ができるようになった。
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