虎穴12 虎に嫁いだ獲物 

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 妊婦生活も順調に過ごし、伊織のお腹は目に見えて大きくなった。 「大きくなったな。動くのか?」 「はい。結構、ボコボコ蹴ってきます。でも、彪仁さんがいると大人しいですね。怒られると思ってるのかな?」  そう言って、伊織はクスクス笑う。 「でも、蹴られると痛くないのか?」 「そうですね。少しだけ。でも動いてくれた方が…」 「彪翔(あきと)、伊織の中で暴れるな。伊織が痛がる。大いに動いていいが、伊織に負担を掛けるな」  お腹の子供に触れながら、彪仁はいつも言い聞かせていた。  子供の性別が男の子だと分かると伊織は、決めていた名前を彪仁に伝えた。 「彪仁さん、お腹の子は男の子でした」 「そうか」 「それで、名前を決めたんですけど…」  伊織はそう言うと、一枚の紙を取り出した。  そこには、美しい筆文字で、  橘彪翔(たちばなあきと)  そう記してあった。 「どうですか?『彪』の字は動かないので、それに合わせる一文字を考えた時、思いのままに羽ばたいてほしいなと、シンプルに『翔』の字を合わせたんですけど…」  彪仁は、いいと思った。  何より、伊織の名付けた名前。  反対する理由など、あるわけがなかった。 「ああ、伊織が願いを込めて付けた名前だ。いいと思うぞ?」 「お父さんたちにも聞かなくていいですか?」 「いいだろ。俺と伊織の息子だ。二人で決めればいい」 「そうですか…」  伊織は、彪仁の言葉を少し寂しく感じてしまう。  彪仁はその機微を感じて、伊織をそっと抱き寄せた。 「だが、伊織が相談したいのならすればいい。親父もいいと言ってくれると思うぞ?」 「はい。ありがとう、彪仁さん」  伊織は、彪仁が許可してくれたので、翠がマンションに来たタイミングで、  この名前で決めていいか、尋ねることにした。 「お母さん」 「うん、何?」 「あの、子供の性別が男の子だと分かったんです」 「そうなの?」 「はい。それで、名前を考えたんですけど…」 「なんて決めたの?」 「はい、これです」  彪仁に見せたように、翠にも筆文字を見せた。  すると翠は、無言で写真をパシャリと撮った。 「あの、お母さん?」 「ん?決定でしょ?彪雅さんに見せるの」 「えっと、いいんですか?」 「どうして?子供の名前の決定権は親にある。私も彪雅さんも文句は言わないわよ?とってもいい名前。立派な名前。願いの籠った名前。ありがとう、伊織ちゃん。孫の名前に『彪』の字を受け継いでくれて」  その言葉を聞いて、伊織は泣きそうになる。 「もぅ、伊織ちゃんは可愛いっ。こんな事で泣かないでよ…」 「だって、お母さんがそんなこと言うから…」 「彪雅さんに名前を見せた時の反応を、教えてあげるから。今送ってもいいけど、私が直に反応を見たいから、いい?」 「ふふ…はい、もちろんです。お願いします、お母さん」  その後、送られてきた彪雅の様子は、まさに想像通りの喜びようだった。  伊織の妊娠生活は、最後まで順調に経過し、予定通り陣痛が始まる。  病院へと向かう車の中で、伊織に寄りそう彪仁は、 「彪翔、伊織にあまり痛い思いをさせずに、するっと出てこい。分かったな?俺も彪翔に会えるのを、こちらで待ってるから」  陣痛に痛みに耐える伊織に寄りそう彪仁が、お腹の彪翔に指示を出した。  その指示を、彪翔が聞いていたかどうかは分からないが、  彪翔は、それほど時間は掛からず、言葉通りするっと、  伊織が苦しがったり、痛がったりする間もなくぶじ、  二人の子ども。橘彪翔は、元気にこの世に生まれてきた。 「伊織、お疲れ様だったな」 「………はい。彪翔、ちゃんと彪仁さんの言いつけを守って、するっと生まれて来てくれました。逢ってきましたか?彪仁さん…」 「ああ。伊織によく似てかわいかったよ」 「ふふ…男の子だから、これから彪仁さんに似てくると思います。でも、私も自分に似てるって思いました」  彪仁と話していたい伊織だが、やはり疲れが表情に滲む。 「伊織、眠れ。疲れただろう?ずっとここにいるから、心配しなくていい」 「………ほんとう、ですか?」  きゅっと彪仁の手を握り、そのまま伊織は落ちていく。 「おやすみ、伊織。お疲れさん」  こうして橘に、彪翔が新たな家族となった。
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