逃げ出したい気持ち

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逃げ出したい気持ち

 写真を撮られて正気に返った僕は、片桐チーフに見送られて慌てて帰路についた。アパートに辿り着いて洗面所で手を洗いながら、いつもと違って見える自分の顔に苦笑した。 とんでもなく興奮してしまった。いや、没頭?あんな風に我を忘れたことなど無かったかもしれない。僕は今まで勇気がなくて自分から行動してこなかった事で、随分時間を無駄にしてしまったんだろうか。 キスであんなに気持ち良かったらその先はどうなるんだろう。僕は書類を捲る時の片桐チーフの長くて綺麗な指を思い出していた。あの指で身体を撫でられたらどんな気分になるんだろう。  そこまで考え込んで、ハッと我に返った。今、片桐チーフとエッチする事を考えた?ちょっとキスしただけでこんなに舞い上がって僕もチョロすぎる。僕は慌てて裸になると簡単にシャワーを浴び始めた。 風呂場に置いてある、最近一人でする時用に買ったジェルをチラッと見て、少し兆してしまった自身を見下ろすとため息をついた。結局僕より経験値が格段に違う片桐チーフに煽られて、振り回されている。それはドキドキして、一方で怖い気がした。 手早くシャワーを浴びると、部屋に戻って冷たい水を飲んで酔いを覚ました。  スマホに転送された僕の強請る様なキス顔は、まるで自分ではない様で見るだけで恥ずかしさで身体が熱くなる。これをそのまま載せるわけじゃないけれど、AIのミコトに同じ様にさせるのは何だか気が進まない。 そう思いつつもチーフに念を押された手前、これを使ってミコトの画像を作らないわけにいかなかった。モバイルを立ち上げて、片桐チーフの撮った画像を読み込ませてミコトを作っていくと、思わず手が止まった。  「マジか…。何で。」 モバイルに表示された新しいミコトの画像が何処かしら自分の面影を感じたからだ。普段はまるで別人だと思っていたけれど、こうして表情が出ると元の画像の自分がオーバーラップする。 いつも毎週金曜日か土曜日の夜にアップするミコトの画像は、更新した途端に反応が沢山ある。それは更新のモチベーションになっていた。けれども今回の画像は何となく自分を晒す様な気がして気が進まない。  一度片桐チーフに見てもらった方が良いだろうか。そう考えて、僕はハッと思い直した。ミコトはAIだとしても僕なのだから、自分で決めなくては。僕は決心がつかないままベッドに倒れ込むと目を閉じた。もう、訳がわからない。 明日、チーフとどんな顔をして会えば良いのかも分からなかった。指導ペアの、ましてチーフとキスしてしまった。僕の秘密も…。考えて過ぎて眠れない気がしたのに気がつけば朝になっていた。  「三登君、今日は無事に1日が終わりそうだな?たまにはメシでも一緒に食べに行くか?」 隣の席の清水先輩が、就業時間前に僕に声を掛けてきた。僕は今夜の画像アップの更新に決心がつかなかったので、いっそ現実逃避するのも良いかもしれないと清水先輩に縋る事にした。 「良いですね。おすすめの居酒屋教えてください。」 そう僕が返事をする直ぐ後ろから、片桐チーフの声がした。 「三登、例の件の報告がまだだぞ。」 清水先輩はあららという同情めいた顔をすると、また今度にしようと先に帰ってしまった。片桐チーフは場所を変えようと言うとさっさと荷物を手に歩き出した。僕が慌てて追いかけると、チーフはボソリと言った。 「清水と呑みに行きたかったか?」 僕の逃げ腰な事がバレたのかと慌てて首を振ると、片桐チーフはニヤリと笑って僕を見て言った。 「楽しみだな、例の検証するの。」 結局例によって会社の近くの家に連れてこられた僕は、なぜか手料理をご馳走になっていた。チーフの作ってくれた簡単だと言う割にまともな中華丼をチューハイと一緒にご馳走になりながら、僕は海老を摘み上げて言った。 「チーフって、できない事無いみたいですよね。ささっとこんなに美味しい料理も作るし、仕事も出来るし。」 僕が思わずそう言うと、片桐チーフは居酒屋のつまみの様な揚げチーズを口に放り込みながら言った。 「料理は割と性に合ってるんだ。結局手順通りやれば出来るものだからな。三登も一人暮らしだろ?料理しない?」 僕はあらかた食べ終わった中華丼の皿にレンゲを置いて、チューハイを喉に流し込んで言った。 「…あまり。惣菜を買って帰ることが多いです。ご飯ぐらいは炊きますけど。こんなに美味しいものが作れるなら自炊してると思いますけど、自分の料理はいまいち美味しくなくて。」 そう言うと、片桐チーフは何事も経験の積み重ねだと先日の話の続きの様な事を言った。僕は急に避けていた話が持ち出された気がして、顔を強張らせた。そんな僕を見透かした様に、片桐先輩は僕に容赦なく言った。 「もう作ってあるんだろう?今週のミコト。見せてみろ。」 僕は諦めてスマホに画像を呼び出すとそれをチーフに渡した。チーフは黙ってそれを見つめていたけれど、ニヤリと笑って僕を見た。 「ますますミコトが三登みたいだな。もちろんパッと見同一人物に見える訳じゃ無い。ミコトが三登だと知ってたら面影があるってだけだから、心配する事はない。じゃあアップしてその結果を検証しよう。楽しみだな?」 僕はやっぱりこれをアップしない訳にいかないのだと、気が進まないながら投稿ボタンを押した。もちろんどんな反響があるのか知りたい気持ちもあった。結果が怖くて逃げる様にお手洗いに立って戻って来る頃には、チーフは自分のスマホを眺めながらまるで仕事が上手くいった様な表情で僕を見上げて笑いかけた。 「結果は予想を超えたな。見てみろ。」 僕はドキドキしながら、ローテーブルの上の自分のスマホを取り上げた。ブブと振動するその小さな揺れは収まる事がなくて、思わず通知を切ってしまうほどだった。 「ミコトの新規のフォロワーも増えてるな。はは、このコメント数ヤバすぎだろ。」 そう言いながらチーフは僕を悪戯っぽい表情で見つめた。僕は見たことの無い閲覧数と次々に表示されるコメントに只々呆然とするしかなかった。 僕はもう後戻りできないのに気づいていた。今夜もきっと片桐チーフは僕に恥ずかしい表情をさせるのだと、逃げ出したい様な期待する様な、興奮と戸惑いを感じていた。その時僕の顔を見つめたチーフの眼差しがスッと変わった。 「三登は随分いい顔する様になったな。今夜も次の読み取り画像を撮ろうな?」    
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