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秘密
片桐チーフに僕が『ミコト』になりすましている秘密を知られて、僕は頭が真っ白になってしまった。そして一瞬遅れて僕は眉を顰めて呟いた。
「…片桐さん、ミコトの事知ってるって言いましたか?」
言葉にすればそれは片桐チーフもこちらの人間だと言う事だろうか。僕は一気に色々な事が起きて、いっぱいいっぱいになってしまった。だから馬鹿みたいな事を言ってしまったのかもしれない。
「僕、リアルでこっち側の人に会ったの初めて…。」
するとピクリと眉を動かして、片桐チーフはデスクの上を指差して僕にいつもの様に言った。
「さっさと片付けて帰るぞ。お前が残業すると俺の指導力が疑われるんだ。明日フォローしてやるから、今日は店じまいだ。それに俺たちはこれから色々と話し合わないといけない事があるからな。」
そう言われて、僕は動揺しながらデスク周りを片付けた。え?これから何か話し合いをするの?頭の中はその事でいっぱいだった。
後になって考えてみればいくらでも誤魔化せたかもしれないこの状況を、僕はただ馬鹿みたいに片桐チーフの言うままになっていた。先に立って歩き始める片桐チーフの後を急いで追いかけながら、これから一体何が起きるのかと神経をピリつかせながら、黙りこくって片桐チーフのスラリとしたバランスの良い後ろ姿を見つめていた。
不意に立ち止まった片桐チーフがくるりと振り向いて、僕の方を見つめて言った。
「俺、ミコトはもっとポテンシャルあると思うんだ。て言うかAIなら、天井知らずじゃないか?俺がもっと人気が出る様に手伝ってやろうか?いや、秘密を知ったからには是非ともやりたいね。はは、最高だ。ミコトが三登洸太ね…。名前ももじったのか?」
そう楽しげに独り言の様に言うと、またさっさと歩き出した。僕は呆然としながら、僕の命運は片桐チーフに握られてしまったんだとじわじわと実感していった。けれども嫌悪感や密告する気が無いのは分かったので何処かホッとしていたし、思わず呟いたあの通りに生身で会う同族に少し舞い上がっていたのは確かだった。
結局言われるがまま夕食をテイクアウトして、会社近くの片桐チーフのマンションに連れてこられた僕は、ふた部屋もある築年数もほとんど経っていない小綺麗な部屋を見回した。
「さっさと食べよう。流石に俺も腹が減った。」
会社にいる時よりざっくばらんな片桐チーフに慣れないながら、僕は黙ったままチーフの買ってくれたステーキ丼をもそもそと口に入れた。これからどうなるか分からなくて食欲なんて無かったけれど、食べ始めてみれば思わぬ美味しさと若い身体は、美味しい食事の前では無力だった。
「美味いだろ?ここのはテイクアウトでも優秀だ。店で食べるともっと美味いぞ。」
僕はいつもより砕けた調子の片桐チーフを窺い見ながら、頷いた。
「…すごく美味しいですね。僕食欲なんて無かったのに、すっかり食べ終わっちゃいました。」
ソファ前の大きめのお洒落なローテーブルが片されて差し出されたチューハイを受け取ると、僕は素面じゃ居られないとグビグビと喉に流し込んだ。あまり酒に強い訳じゃなかったけれど、この先が読めない状況で何かに縋りたかった。
「おい、三登はそんな強く無いだろ?知らないぞ、そんな一気に呑んで。」
そう呆れた様に言いながら、片桐チーフは僕をじっと見つめた。僕はチーフに聞かれる前に自分で告白してしまう方が楽だと、全部ぶっちゃける事にした。
「片桐チーフの言う通り、僕は成りすましてるんです。自分が男しか好きにならないって自覚してから、だからと言って相手をどう見つけて良いかも分からなかったし、そっちの世界に踏み込むのも怖かったんです。
でもそれも寂しくて…。そんな時にリアルAI画像を本物の女の子だと騙される人達を見て、僕もこれなら出来るんじゃ無いかって。僕とミコトは全然違うかもしれませんけど、分身と言えばそうなんです。すみません、気持ち悪いですよね。…もうミコトは辞めます。」
僕が冷えた缶を握って一気にそう言うと、片桐チーフは僕をじっと見つめて薄く笑って言った。
「なんで?なんで辞める必要ある?こうして見ると、ミコトはお前に似てるな。自分で撮った画像でも使ってるのか?」
ミコトが僕に似てる?似ても似つかないと思っていたけれど、僕の画像も取り込んでいるのだから何処かしら浮かび上がってくるものがあるのだろうか。僕はチーフのお酒を飲み干す喉元をボンヤリ眺めながら言った。
「…辞めなくて良いんですか?本当に?」
片桐チーフは自分のスマホをスクロールして眺めながら、楽しげに言った。
「だから何で辞めるってなる?別に俺はどうこうする気はないし、どちらかと言うとミコトをもっと人気になる様にプロデュースしてやろうと思ってんのに。ほら、ミコトが社会人だって知られてから人気が爆上がりだ。
俺は流れてくるミコトを時々眺めていたけど、ミコトって実は経験がないんじゃ無いかって思ってたんだ。ま、そんな滲み出るところがまた妄想を駆り立てて人気が出た理由かもしれないな。」
そう言われて、僕は一気に顔が熱くなってしまった。もう一度手の中のチューハイを喉に流し込むと、思わず目を閉じて呻いた。
「はぁ、そんな事も判っちゃうなんて全然知らなかった。僕、やっぱり辞めたほうがいいかもしれないです。結局ミコトは実在しないし、いつまでもこんな事続けてられないって思ってましたから。そう思いませんか?」
僕がそう言って目を開けると、片桐チーフは僕に新しいチューハイを渡すと、自分ももう一本プシュリと開けてゴクゴクと喉を鳴らすと口元を手の甲で拭ってニヤリと笑って言った。
「じゃあ、ミコトに生々しさを出せばいい。実際お前は実在してるんだし。簡単な事だろ?」
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