チーフの提案

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チーフの提案

 片桐チーフの生々しさを出せばいいと言う言葉は、僕に首を捻らせた。AIは現実と虚像の境目を行き来しているけれど、僕の作ったAIのミコトは現実の方に取り敢えず足を突っ込んでいると言えるだろう。 でもこれ以上どうやって生々しさを出す?僕にはノーアイデアだ。すると片桐チーフはニヤリと笑って僕に言った。 「『ミコト』には生活感がなさ過ぎなんだ。多分加工のせいだと思うけどな。あと、側に誰かいる雰囲気も全然無いだろう?生々しさを出すなら、そんな第三者の匂わせも効果的だと思う。 考えるのもなかなか楽しそうだ。その結果が閲覧数とコメントで反映する事を思えば、案外仕事よりやり甲斐があるかもしれないな。画像を読み込ませてるのなら、そう言う状況の画像集めが先だな。」  楽しげに僕のミコトのアイデアを出す片桐チーフを、僕はぼんやり眺めていた。仕事でも有能な片桐チーフは、こんな事でも有能なのが何故か可笑しかった。僕が思わずクスクス笑うと、片桐チーフは眉を上げて僕を見つめた。 「ふふ。何だかこんな風に片桐チーフと話をするなんて、全然想像できなかったなと思って。僕の変態的な投稿にも軽蔑する訳じゃなくて、ノリノリでなんかおかしくって。ふふ、…ふぅ、…。」 泣き上戸だった訳じゃ無いのに、僕は安堵感で今まで張り詰めていた気持ちが一気に解放して、唐突に涙が溢れてしまった。子供の様に堪えきれない涙が滲んできて、片手で顔を隠すと誤魔化す様に俯いた。  目の前の片桐チーフが立ち上がる気配がして、気づけば僕が寄り掛かっていたソファに座ってティッシュを差し出してくれた。僕は黙ってティッシュを受け取ると、涙を拭って鼻をかんだ。ああ、無様な醜態を晒してしまった。 片桐チーフは僕の頭に手を置くと、聞いたことのない優しい声で囁いた。 「そんなに深刻になるな。別に俺はお前を追い詰めようとかそんな気はないから。…まぁ、あまりにも三登が経験不足で無防備だなとは思うけど。」  僕は思わず口を尖らせて呟いた。 「経験不足だからAIに走っちゃたんです。僕みたいな人間には、リアルでお相手探しはハードル高いですから…。」 僕がそう言うと、片桐チーフは少し黙ってからボソリと尋ねた。 「…本当に経験ないのか?」 僕は酔いが回ってきたのを感じながら自虐的に笑った。 「だって、男が好きなんて誰に言えますか?自分から友達に?そんなの無理です。お仲間が集まるエリアは知ってますけど、全然知らない人といきなりエッチな事するんでしょ?絶対無理です。怖い…。」 片桐チーフは僕の話を聞きながらチューハイをゴクゴク飲んでいた。それからおもむろに僕になんて事ない様に言った。 「ミコトの表情って、三登の画像も読み込んでるんだろう?最初の頃かなり恥ずかしそうな顔してたからさ。だから実体験が伴えばもしかしたらもっと人気出るんじゃないか?まぁ、あのウブな感じだから人気あるのはそうなんだけど。」 僕は釣られる様にチューハイを喉に流し込んでケラケラと笑った。ああ、さっきまで泣いていたのに、今は笑ってる。僕相当情緒不安定だ。そう思いながらも口は滑らかに動いた。  「だーかーらー、それが難しいんですって。それとも片桐さんが相手してくれますか?僕は片桐チーフはタイプじゃないけど、まぁ練習だと思えば片桐チーフでも大丈夫です。」 後から考えればとんでも無く失礼な事を言ったと気づくのだけど、その時は勝手に動く口は止まらなかった。するとソファに座っていた片桐チーフが、僕の顔を上から覗き込んで囁いた。 「全く好き勝手言ってくれちゃって。…ミコトの魅力アップのために、タイプじゃない俺が協力してやるよ。キスしたい?」  僕はキスと言われて、もうキスの事しか考えられなくなった。今キスしなければ、もしかしたら一生経験できないかもしれないんだ。僕は片桐チーフの形の良い唇に目が釘付けになってしまった。 思わず喉を鳴らして頷くと、片桐チーフはクスッと笑って責任重大だなと囁いてそっと顔を寄せると、僕の唇に柔らかく触れ合わせた。僕は無意識に目を閉じていたけれど、その柔らかな感触にドキドキしてしまった。少し甘い気がしたのは梅味のチューハイのせいだろうか。  離れたと思ったその柔らかさは、目を開ける間も無くもう一度落ちてきた。そして優しく吸い付いて、押しつけて、くすぐる様に愛撫した。ああ、キスってこんなに優しくて気持ち良いんだ。 思わず甘くため息をつくと、僕を啄んでいたその唇は僕の下唇を喰んだ。引っ張られて口元を緩めると、ぬるりとした感触が僕の唇を舐めた。僕は自然に唇を開いて、生き物の様に意志を持って動くそれの侵入を許した。  唇の浅い場所をゆっくり撫でられて、僕は瞼を震わせた。ああ、キスって好きだ。僕がそんな風に思って微笑んで冷静でいられたのもそこまでだった。片桐チーフの舌は不意に僕を征服する様に激しくなって、文字通り僕を翻弄した。 誰かの弱々しい甘い呻き声が自分の声だと気づかなかったくらい、僕は夢中になって片桐チーフの与えてくれるキスを堪能していた。 頬の裏の柔らかな場所をくすぐられて、僕の舌を誘導する様に絡ませられて、僕は唇の端から唾液が垂れるのにも気づけなかった。  スルリと片桐チーフの舌が僕の中から出て行って、震える瞼が重くて開けられない気がしたその時、スマホのシャッター音が何度か鳴って僕はハッと目を見開いた。 「今度はこれを読み込んだのにしろよ。…凄い色っぽいから。」 そう言ってぼんやりした僕の目の前に差し出されたのは、僕の赤らんだキス顔だった。強請る様な薄目のその顔は、確かに直視できないくらい生々しい。恥ずかしさに絶句した僕に、片桐チーフはまるで仕事の時の様に僕をじっと見つめて言った。 「出来るだろう?俺の期待を裏切るなよ?」
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