夏の終わりに、前を向く

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 樹に連れられていったのは、神社とは反対側の公園。  木の種類が違うのか、それとも早い時間なのがいいのか、おばあちゃんの家であんなに大音量で聞こえていた蝉の声が小さく感じるぐらいの大音量。  その中で、僕らは負けないぐらいの声で話して、虫取り網を振り回して走った。  僕が見てみたかったアブラゼミを何びきも見て、ちょっとドキドキしながら触って。  僕の知らない世界を、樹が見せてくれた。 「樹は、虫かご持ってこなかったの?」 「うん。かごには入れない」 「何で? せっかく捕まえたのに」 「別に。持って帰ってもどうしようもないし。いつだって捕まえられるし。それに、こいつらもうすぐ死んじゃうじゃん? 一週間しか生きらんないし、夏ももうすぐ終わるし」  そう言った樹の顔は少しだけ大人びて見えた。  捕まえた蝉を、すぐにかごに入れようとしてた自分が恥ずかしくて。  手にした蝉をそっと離した。  僕の手から放たれた蝉が、空に向かって自由に飛び立って行く。  たった一週間かもしれない、夏が終わって暑さがなくなるまでかもしれない、それでも息苦しい土の中から出て、その羽で力強く飛ぶ。  自由に行き先を決められる蝉が、羨ましくてたまらない。 「律は持って帰ればよかったじゃん」 「ううん。いい。自由を奪われるのは、辛いから」 「ふぅん」  僕は、何か変なことを言ったかな。  黙り込んでしまった樹との間に、変な沈黙が立ち込める。  嫌な気持ちにさせたかな。  空気、読めないから。 「樹? どうかした?」 「んー。次はどこ行こっかなぁって、考えてた。律さぁ、いつまでこっちにいるの?」  いつまで。  いつまで?  いつかは帰らなきゃいけない家。  逃げ続けるわけにはいかない。  マタ、ニゲル?  突然襲いかかってくるノイズ音。  その隙間をぬって聞こえる声。  何で?  僕、動いてるよ。 「律? どうした?」 「あっ。な、なんでもない」  律に話しかけられて、ノイズが晴れる。  遠くなった蝉の声が戻ってくる。    「なんかあった?」 「ううん。大丈夫。ちょっとぼーっとしちゃって」   「そろそろ暑くなってくるもんなぁ。腹減ったし、もう帰ろっか」 「うん」  帰り道は、さっきとは打って変わってぎこちない沈黙が襲う。  黙ったままの樹のことを、横目でチラチラ見ながら歩く。  やっぱり僕、何かしでかしたんだ。  考えても考えてもわからない。 「律って、自転車乗れる?」  沈黙を破った樹の声。  自転車?  聞かれたら言葉の意味がわからない僕は、黙ったままでいるしかなくて。 「やっぱり乗れない?」 「の、乗れるよ!」 「マジ? そしたらさ、星、見に行こーよ」 「星?」 「そう。ちょっと遠いんだけどさ、自転車ある? ばあちゃんの家だし、乗れるのない?」 「ある! ちょっと古いけど」 「んじゃあ、明日は星ね」  さっきまでの沈黙がなんだったのかわからないぐらいご機嫌な樹が、僕に向かって笑顔を見せる。 「僕っ。夏休み終わりまでいるよ」 「ん? わかった。そしたら、まだまだ俺と遊ぼ」  夏休みが終わるまで後一週間。  独りで過ごすはずだった夏休み。  地元から逃げて、家族から逃げて。  たった独りになるはずだった。  石ころのような僕にでも、こうして目を向けてくれた。  樹にとっては、何てことのない一週間。  来月にはもう忘れられてしまうだろう。     樹と一緒に星を見て、虫を取って、たまには宿題もして。  毎日毎日遊び倒して。  日焼け止めじゃあ追い付かないぐらいに真っ黒になって。  夏の終わり。  やっと追いかけてきた、僕の夏。
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