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王女にだって事情がある
私は昼食後、ラングフォード王国に到着した際に、今後夫婦の寝室以外に「好きに使って良いからね」とルーク様から用意して頂いた、二つのプライベートルームの内の一つに入るとそっと扉を閉めた。
こちらの部屋は主に着替えたりメイクをしたり、お茶を飲んでくつろぐスペースである。ちなみにもう一部屋は読書などの趣味部屋にする予定だ。どちらも結構な広さがあって、日当たりも良く快適な空間である。置いてある家具も奇をてらった形などはないが、木の温かみが感じられて居心地が良い。色味を抑えたダークグリーンの絨毯も、私の好みにはピッタリと来る。ルーク様の気遣いとセンスの良さが感じられた。
「……ふうぅぅ」
緊張から解放されて思わずこぼれるため息を聞いたメイドのベティーが、
「エマ様、紅茶を淹れましたので、ひと休みされてはいかがでしょうか」
と私の手を取り丸テーブルへ案内してくれた。
彼女は私が国から連れて来た唯一の世話係だ。
二十四歳になるベティーは私が小さな頃からずっと私の傍にいる、心から信頼出来る友であり姉のような存在である。
ルーク様と結婚するにあたり、両親は私のためにある程度の人数をお付きの者として連れて行くことを提案したが、私はすべて断った。
こちらの国から大人数を引き連れて押しかけ、ラングフォード王宮内で働く人たちを排除するような状態にするのは、いくら友好国の王族であっても反感を持たれやすいだろうと考えたし、我が国の王宮で働く者だって、それぞれ家族もいるし友人知人だっているのだ。大切な人たちと離れて暮らせと無理強いするのは、いくら仕事とはいえしのびなかった。
そしてそれ以上に私がルーク様や義父母になる国王陛下、王妃、そして王宮内で働く人たちと早く親しくなりたい、認められたいと思っていたからだ。
……ただ、どうしても周囲に隠しておかねばならぬ『諸事情』が私にはあり、申し訳なく思いつつも、一番に信頼しているベティーだけは一緒に来て欲しかった。
本当に心苦しいが、私と一緒にラングフォードについて来て欲しいのだとベティーに伝えると、彼女は少し驚いてから笑みを浮かべた。
「いやですわエマ様! 最初からわたくし、ご一緒するつもりでございました。既に家の者も伝えておりますし」
「え? だ、だけどベティー、家族と離れ離れになってしまうのよ? 分かっているの?」
「まったく寂しくないわけではございませんが、二度と会えないわけでもございませんし。国を離れると申しましても、せいぜい半日も馬車に乗れば家に戻れますもの。まとまったお休みを頂いた際に顔でも見せて参りますわ」
「……でも、あの、恋人がいたのではなかったの?」
私は少し口ごもる。
以前、騎士団の中に親しくお付き合いしている男性がいると私は聞いていた。
だからもしその恋人と結婚する予定が決まっているのであれば、難しいかもと考えていたところもあったのが本音であった。ベティーも私と同様、結婚してもおかしくない、というかそろそろしないと遅いと言われてしまう年齢なのだから。
「ああ、あの人とは少し前にお別れいたしました」
あっさりと答えたベティーに逆に驚いてしまい、どどどどうして、と動揺した勢いで聞き返してしまった。
「彼は騎士団が天職だと思っておりますし、わたくしもそう思っています。そして結婚したらわたくしは仕事を辞めて妻となり子を産み、家族として自分を支えて欲しい、そう言われておりました。もちろんそれを幸せだと考える女性がいるのも分かるのですが、わたくしは働くのが好きなのです。エマ様にお仕えしている今の仕事が好きなのです。結婚しても仕事を辞めるつもりはございませんでした。そこで彼と意見が対立致しまして」
「まあ……」
ベティーは働き出した当初から私専属のメイドであった。
私は当時まだ九歳か十歳。執務や視察などで不在がちの両親は、寂しがる末っ子に近い年頃の話し相手も含め、身の回りの世話をする相手を求めていた。私の『諸事情』からだ。
子爵令嬢の次女であった彼女は決して私を甘やかさなかった。
三つ上のお姉さんとして、私が悪いことをしたらきちんと叱ってくれるし、良いことをすれば恥ずかしいぐらいに褒めてくれる。王族の一員であることの誇りと責務を自覚させてくれたのもベティーだった。
結局は反りが合ったのだろう。最初は少し怖いと思っていた私も、気がつけばベティー、ベティー、と常に彼女を探すようになっていた。
「……実際は仕事を辞められないからでしょう? 私が迷惑を掛けてばかりいるから」
「違いますわ。エマ様は素晴らしい御方です。……まあ少々言動にアレなところもございますけれど、わたくしはエマ様を心から尊敬し、この仕事が天職だと思っているのです。ですから、不要になるまでお傍に置いて頂ければありがたいのです。お役に立っているという自負もございます。──まあ結局のところ、彼と結婚するために仕事を辞める決意にまで至らなかったのは、彼との結婚後の生活より、エマ様のもとで働いている方がわたくしには幸せだったと言うだけのことでございます。単に愛情が足りなかったのでしょうね。ですからエマ様がお気になさる必要などありません」
「ベティー……本当にありがとう。出来る限り一緒に居てね」
私は感謝をしつつも、彼女の心の痛みを気遣うよりも先に、一緒にラングフォードに来てくれることを心底頼もしく感じてしまった自身の身勝手さを恥じていた。
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