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収穫間近の粒がこんもりした稲穂
ご近所で聞こえなくなった風鈴の音
朝はセミが鳴き、夜はさぁ俺たちの時間だとばかりに合唱するコオロギ
湿度が薄まったサラリとした風
夏の終わりといえばこういったものを想像するが、私が最も夏、および夏休みの終焉を感じるのは萎んだビニールプールだ。
突然だが、私は泳ぎがあまり得意な子ではなかった。
クロールをすれば顔を上手く上げられず、溺れているような息継ぎとフォームであったし、小学4年生で15メートルほどしか進めなかった。
平泳ぎでは足をジタバタと闇雲に動かし、基本の蛙足ができているか確認するテストでは見事、教師から不合格の烙印を毎度押されている始末。私は残念な蛙だったのだ。
しかし、水の中に潜ったり泳いだりすること自体は好きな子であった。
特に絵本のおとぎ話に出てくる人魚に憧れ、なりきって泳ぐことに情熱を注いでいた。
プールの自由時間、「一緒に泳ごう」という友人と共に泳ぐふりをしながら「あの子はただの人間だけど、私は人魚」と友人をただの人間Aにカテゴライズし、人魚の私は優越感に浸っていた。
両足を揃えて、あたかもヒレがあるかのようにクネクネと水中で動かし、ゆったりと優雅に泳ぐ。
テストでは蛙ではなかったかも知れないが、私は立派な人魚なのだから仕方がない、と諦めもついた。
むしろ人魚は、煌びやかで艶やかな鱗とヒレを持っているし、たなびくロングヘアに二枚の貝殻やアクセサリーを身にまとった、まさに美しいお姫様の象徴だ。
人魚と蛙とでは、月とスッポンほどの差があるのだ。
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