なりきり人魚とビニールプール

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そんな苦楽をともにした存在のビニールプールなので、夏休み最終日、母が懸命に足で踏み、空気を抜いている姿には虚しさを感じたものだ。 夏休み初日には膨れ上がっていたワクワクする気持ちもすっかり萎み、空気の抜けたビニールプールは変哲のない、ただのシワシワのビニールの塊だ、とさえ思った。 残っていた夏休みの絵画の宿題に鬱々と取り掛かっていた昼下がり、「明日から学校だねぇ」と呑気に母から声をかけられたものなら、ただでさえセンチメンタルな気分に浸っていた私なのだから、とうとう耐えきれなくなって泣きじゃくった。 「もぅおおう、いやだぁぁあああ。(【訳】もう、嫌だ。)」 「あじだがら、がっごぉうに…ヒック…いぎだくなぁああい。(【訳】明日から学校に行きたくない。)」 絵の具での色塗りを手伝わされている母の方が、もう嫌だと何回も思ったかも知れないが、翌日から集団生活を強いられる私にはそんなの知ったこっちゃなかった。 時間で動いて時間で授業を受け、前へならえと言われれば面白くもないのに前へならえをし、掃除や給食の配膳など自分達のことは自分達で行う、あの集団生活に戻らなきゃいけないのだ。 なんと窮屈で絶望的なことだろう。 あれから19年。 このような思い出があるため、29歳の私は未だに萎んだビニールプールが干されている家を見かけると「あぁ、夏が終わるのだなぁ」としみじみ感じる。 萎んだビニールプールは、なりきり人魚に明け暮れたひと夏の終わりと2学期が始まる合図のゴングに思えてならない。
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